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この世は宜蘭   梁 烏 [詩 Shakespeare Достоевски]

 私が宜蘭庁への派遣命令を拝して出航したのは、明治三五年、西暦一九〇二年の八月八日のことだった。後に帰朝してからの伝聞では、前日に伊豆鳥島が大噴火して島民の殆どが亡くなったという天災があった由。母は島近海であわや沈没の憂き目に遭った船舶事故と、遥か台湾へ向かっている私の乗船を混同して一月ばかり消沈していたらしい。
 私、乃至、私の家族のことはともかく、宜蘭の印象を辿ろう。
 ご存知のように、私が宜蘭へ向かった日より遡る七年前の明治二八年、日本による台湾の統治が開始された。その頃の宜蘭はより中央官制が整備された台北県の管轄だったが、度々の行政改制が実施されて、私が渡台した明治三五年には宜蘭庁と改編されたばかりだった。また先走るようだが、私が帰朝した年は大正七年、西暦一九一八年のことで、二年後の大正九年に宜蘭のあたりは、宜蘭と羅東、そして蘇澳の三郡に分割されて台北州の管轄となった。
 基隆を経て宜蘭へ着いた。
 私のような一介の役人、うら若い農業技手に「この世は宜蘭」と言わしめた宜蘭は、漠とした太平洋を前にまどろんでいる少女のように在った。正真の熱帯がそこに隆々と鎮座していた。椰子や蘇鉄しか目の当たりにしたことがなかった私は、尾根や段丘、焼畑や灌漑、いや、街角や庁舎裏にも繁茂する熱帯植物の数々に興味を持った。
 愛玉子(アイギョクシ)をご存知だろうか。数ある熱帯植物のうちで私を魅了したのは、現地名「愛玉子」和名「かんてんいたび」というクワ科イチジク族の台湾固有種である。平たく申せば無花果(いちじく)の仲間のつる性植物である。昭和となった今では日本でも売られている。上野浅草界隈で女子や甘物好きが堪能している寒天状のあれのことである。あれはアイギョクシ(愛玉子)の種子を乾燥させたものを、水で戻して固まる成分を抽出して寒天状にしたオーギョーチ(愛玉冰)という菓子である。和名は寒天に対して漢字をあてれば崖石榴(いたび)を足した分けで、崖石榴はそもそも犬枇杷のことだが、愛玉子は一言で言えばオオイタビ(大崖石榴)の変種であろう。
 もとい、宜蘭の愛玉子について、美麗島の極みとしての宜蘭について語ろう。
 私の宜蘭庁における主な勤め、大袈裟に申せば使命とは、後に「宜蘭酒廠」として日本でも知られるようになる酒造工廠の設立に関わる計画調査であった。それも平たく大雑把に申せば、庁舎の北西から北東の大浜に向かって流れる宜蘭河の水質調査、そして宜蘭河の北岸にあたる一結から四城を経て三十九結に至る得子口渓の南岸、この地帯の耕地整備と作稲推進の計画である。さらに奇を衒わずに申せば、私は二人の農学博士の現地案内と現地世話係りといったところだった。滝本先生は四十代半ばながら海浜住みの高砂族と見紛う色黒精悍、もう一人の次野先生は二十代の末ながら白髪交じりで日焼けを気にしている青瓢箪、といったところだったろうか。
 今更ながら思うに、年齢も近い次野先生との出会いが、この老残に「この世は宜蘭」と回顧せしめた契機だったのかもしれない。私が宜蘭についての一文を残そうと思い立ったのには、常夏の夕暮れに愛玉冰の鉢を差し出してくれた玉界(チョウチャ)への慕情がある。さすれば、愛玉子について秘密を吐露する少年のように語ってくれた次野先生、彼こそは正に甘美への誘惑者であったわけである。そもそも滝本先生の本懐たる地道な水質調査、これに浮薄な次野先生が嫌気を感じて、何かと理由をつけては宜蘭河の支流や得子口渓の上流の山中へ分け入ったこと、そして私が父から拝領した「盛国」を携えて同行したこと、やはり玉界との出会いへ手招かれたのは次野先生だった。

「そもそもだ、愛玉子という名の由来はだね、その実を水の中で揉みだすと固まって寒天状になるということを発見した人がだね、自分の娘の名をつけたとされているんだね」
「するってぇと、玉子っていう名前ですか?」
「そんな芸子みたいな名前じゃないよ。君、ここは台湾だよ、愛玉だろうよ」
「アイギョク…待ってくださいよ、私もそうですが、先生も台湾へは初めていらっしゃったんでしょ?予め愛玉子について勉強なさったんでぇ?」
「勉強なさったとかいうほどのことじゃないよ。滝本先生のようにだね、米の増産に命を懸ける、といったように腹を括っていないだけだよ」
「腹を括っていない…するってぇと、先生は台湾へは、さほど望んでいらっしゃったわけじゃないと?」
「何を言っているんだ、君は。するってぇと、するってぇと、と何かと江戸弁そのままに…私はね、ここ台湾へ、ここ宜蘭へ、もの凄く望んで来たんだよ。だから滝本先生の推薦をもらうために必死だったよ。君、聞いているかい?」
「聞いています…先生、先生の南部大拳、使えるように…」
「抜いてはいかん、こちらから刺激してはいかん…どうやら武器らしきものは持っていないようだ」
「漢人ではないような…蛮人、クバラン(噶瑪蘭)でしょうか?」
「柄から手を放したまえ…おそらく漢人と同化した種族だろうね」
「やり過ごしますか…」
「無論だ、我々は悠々たる日本人だ…明治十一年に弓矢の蛮人に対して銃を発砲している清国のごときではないのだから…」

 私が次野先生の南部式自動拳銃、陸軍からの伝聞でいう南部大拳を握らせてもらえたのは、翌々にあたる明治三七年の早咲き山桜の二月も末だった。名誉なことに、南部大拳を手にできた練兵経験のある民間人としては、おそらく私が二人めであったろう。何故なら次野先生の御伯母上が、陸軍中将にして工学博士、南部麒次郎(きじろう)夫人であられた由、渡台の任を得た甥へ南部博士から直々に授けられたからである。
 私の手に南部大拳は「盛国」のように重かった。それは敵を射抜く斬るといった道具としての重みではなく、滝本先生が満足そうに手渡してくださった紫水晶のように、単純に選ばれた鉱石の練磨と造形の極みとしての重さだったように記憶する。
 ここまで鉄の意匠について書いてくると、血気盛んな青少年諸君は、南部大拳の号砲と轟音、その殺傷力の描写を期待するかもしれない。しかしもって私が「盛国」を抜いて、酒宴の痴話喧嘩を抑制すべく長押を斬りつけてしまったこと、包丁がなくて不覚にも万寿果(パパイヤ)を切り分けたこと、そのような自らの恥かき事は面白くも書けようが、南部大拳については一切書けない。不肖私が知る限り、次野先生は一度も南部大拳を使用されたことがなかったからである。
 親しみから勝手に青瓢箪などと形容させていただいた次野先生は、不運にも灼熱の疲労からか病を得られたのである。未だ衛生所の完備が整なわない中、熱帯特有の麻剌利亜(マラリア)に侵されて、一年半年も経ずに帰朝の憂き目に遭われたのだった。
 惜別の日、山桜は劇的に朱よりも深く赤かった。それは噶瑪蘭たちの宴に供せられる山羊や鹿の鮮血ごときである。私は愚かにも晴天に映える紅を梅に例えて、幼少時に京都の梅宮大社で遊ばれたという次野先生を些か泣かせてしまった。

「そもそも…君の脇差しにしてもだね、この弾なしの銃にしてもだね、実用的な鉄鋼、鍬や槍矛の成れの果てじゃないか…まあね、こんな意気地なしには必要なかったわけで…何を笑っているのかね?」
「申し訳ありゃせん、こんなときに…弾なしから勝手に連想しちゃいやして、馬鹿もいい加減にしろっていうか…先生がまだお元気だった八月頃でしたかね、よく宜蘭河に水浴びにご一緒くださったじゃないですか」
「ああ、あれは楽しかったね…君は相変わらず江戸弁そのままに、詩情たっぷりなここ宜蘭を語ってくれる」
「あんときに水浴びをしながら先生が仰りやしたこと、対岸の蛮人の女たちを見ながら仰りやしたこと、憶えていらっしゃいますか?」
「蛮人の女たちを見ながら…女たち…ああ、思い出したよ。たしか女たちの乳を見ながらだね、君の性癖について意見させてもらったよね」
「ええ、私が興奮しちまって股間を気にしていたら、陽に焼けた乳を見て勃起しているのは愛情を伴わない反射行動にすぎない、とか先生が仰って」
「実際にそうだろう、今でも君は」
「ええ、何とでも仰ってくださいよ…おやまあ…もう先生、こんな綺麗な娘さんの前で乳がどうこうなんて言わせないでくださいよ、もっとも日本語は分からないでしょうが」
「忙しないね、君の話は。それが、チョウチャ(玉界)が持ってきてくれたのがアイギョクシ(愛玉子)だよ。食べてみなさい、京都の葛菓子に似ていて…玉界に作らせたんだよ」
「あの子に作らせた…大丈夫ですか?」
「何を言っているんだね、失礼な、玉界は清純そのもので朝夕の沐浴を欠かさない子だよ。母親はクバラン(噶瑪蘭)らしいが、父親は漢方と陽明学に通じているリン(林)家六代目のセイハ(成波)先生だよ。先月から熱冷ましの薬を届けてもらっていて…凄ぶる聡明な子で…知識に貪欲で…愛嬌もある」
「こいつはうめぇ、失礼、美味ってもんじゃありゃせんか…」
「ちなみにだね…父娘そろって、林先生ご本人も娘の玉界も、本朝人顔負けに日本語に堪能だから…君のべらんめぇ調の江戸弁が気になるんじゃないかと…」
「するってぇと、先生、っていうことはですよ、乳を見て勃起している、なんて私が言ったことは…」
「ああ、それはそれは随分と助平な嫌らしい男だと思っただろうね」
「勘弁してくださいよ、私はただ水浴び場で先生が仰っていたことを思い出しただけで」
「笑うと苦しい…君の性癖などと言ったが、要は君の性体験が乏しいだけなんだろうね」
「だから私が言いたかったのは…私の股間の話の後で、十代の終わりに…おたふく風邪をやって種無しになったもんだから…健康な私が羨ましい、って先生が仰ったことで…申し訳ありゃせん、こんなときに」
「そんなことか…苦しい、笑わせないで…水がほしい、玉界を呼んでくれたまえ」
「あの子を呼ぶんですか…私は助平な嫌らしい男で…」
「いいから呼んでくれ…何だったらお代わりしたまえ、玉界の乳房のような愛玉子の鉢をだよ」
「もう勘弁してくださいよ。先生はね、宜蘭に残る私に嫉妬なさっているんですよ」
「それはそうだ、この麗しい島…この世は宜蘭だ」

                                       了
数III方式 ガロアの理論

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