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ロマンポルノ・ボーイズ   氏家 秀 [Malraux Camus Sartre 幾何]

 先輩と美江の披露宴は、若い僕には些かつらいものがあった。
 飲めば飲むほどに、先輩の漁師らしい日焼けした笑顔は、季節を迎えた飼い犬の白昼の健康な狂喜を連想させた。
 僕が大安吉日の日曜日の宴に出席するために、土曜日の新潟税関との対抗試合を済ませた後、やっと臭い剣道着を脱ぎ捨てて、夜行に乗って京都で乗り継ぎ、浜坂に着いた時は式当日の花曇りの朝だった。強行軍は体力商売の税関職員なので、鈍牛のようにものともしないが、対抗試合に備えた小田原での週末合宿が、僕の欲求を一週間以上前から抑圧して、厭世な脱力感へと転化させていた。その厭世な脱力感とかを携えながら、新潟の連中を相手に竹刀をふりまわして、体を痛めつければ浄化される、と思ったのが身の程知らずだった。僕の欲求とは女たちであり、僕の欲求とは自然であり、僕の欲求とは日常だったのだ。
 小田原での週末合宿が決定した日の夕刻にまでさかのぼる。中華街の北門で待ち合わせていた啓子の姿が見えた時、後ろから甲高い声をかけられた。後輩の山田が追いついた痩せ犬のように息せき切っている。彼が付き合っている「笑いながらする女」というのは、日活の王林「水島美奈子」にそっくりで馬車道の証券会社に勤めている。その女に買ってもらったという檸檬色のネクタイが乱雑に首から下がっていた。
「お急ぎのところ、一分だけ先輩思いの後輩にお時間をください。そちらの美保純そっくりの啓子さん、啓子さん以上と言ったら申し訳ないが、先輩が今一番会いたい女が来週やってきますよ。いいですか、伊勢崎町の日活へ舞台挨拶に来るんですよ。誰がって…ひ・と・み」
 僕の脳の助平襞が一瞬にして捕らえたのは、片足を取られて痛みにうずくまっている日活の二十世紀「小林ひとみ」である。俯いていた彼女が、山田の言で粘膜のような逆光とともに濡れた眼で振り返る。あの眼とあの乳房が舞台挨拶にくるのだ。人通りにあって正直に勃起してしまった。
「もちろん自分は行ってきますけれども、来週の土曜日、先輩は小田原の虎の穴を抜け出られます?」
 僕は十分に意味不明なまま低く唸った。小柄な山田を脇へ寄せるように押して、淫蕩な焦げついた十字架を背負い直す。刹那の酒を浴びて陰嚢の演歌を呟くしかなかった。
 ホテルですませた時は零時半だった。啓子は背を向けて臍の掃除をしながら僕という男を感心させてくれた。
「一番上の兄の嫁さんがね、山でさ、兄に何かあると、寝ていても本気じゃないのが分かるって、よくそう言っていたわ。何かって…茸とか山菜を採りに行くでしょう。その時に何かいいことがあると本気じゃないって言うのよ。いいことって…その嫁さんが確認したことは、ひとつは千本しめじか松茸が生えている所を見つけた時。ふたつめは温泉の女風呂を覗ける所があって、そこから覗いた時に若い女の子が入っていた時。そしてみっつめは、現場をおさえたわけじゃないらしいんだけれど、隣りの出戻りの娘と一緒に山から下りてくる時…だって」
 僕はなるほどといった顔をして寝返りをうった。
 路上の野良猫を蹴散らすようにして、ボーイズが集う寮へ帰ってみると、向かいの山田の部屋から日活の長十郎「谷ナオミ」の呻き声がした。いつものように鍵をかけて、縄の縛り目に瞠目しているのかどうか。ともかく二日酔いの助平頭を石榴のように横たえようとした時、呻き声を全開させた黴臭い空気と供に山田が入ってきた。
「先輩、お帰りなさい。これから奥様が生卵を割るところですけど、一緒に見ませんか?臭くありませんよ、香りの人形を買っちゃいました、一昨日。そうなんだよなあ、あいつもこういう匂いがして笑わなきゃ…」
 僕は咄嗟に日活のラ・フランス「鹿沼えり」の写真集を投げつけそうになったが、先輩からの招待状を投げつけることによって山田を追い出した。

 先輩と美江は何度も何度も互いの頬にキスをしていた。
 美江は教頭ながらも美術教師も兼ねていた僕の父によれば、浜坂はじまって以来という画才のはずだった。そんな少女時代の凛とした孤独の不幸を棄てて、瓢箪を商ってきた母親と同じく収まった幸福になろうとしていた。
 同級生の美江は、幼い頃から強気に口を窄めて顔を逸らすと、残念ながら胸の揺れない日活のあかつき「東てるみ」だった。僕が「将来は佐々木小次郎のような剣術家になりたい」などと書いていた頃、彼女は「ピカソの青の時代が私にも間違いなくやってくると確信できれば、私は画家になるだろう」などと書いていたものだ。僕も今から回顧すれば変な少年だったが、振り袖の影で咽ている彼女も随分と変な少女だった。
 あれは飛魚が嫌になるほど市場をうめつくした頃だった。
 僕は自分が長身で女の子たちの噂に上っているのを知っていた。あれは、あの頃のあれは、金柑のように表皮の甘味がじれったい。しかし手頃な酸味はとても忘れられるものではない。そして僕は頑固で偏屈で気取っていたわけだ。今でも武蔵のような昼夜を問わない求道な生活に胸糞を悪くする。僕は陰に隠れて声を漏らさないような努力をしない。晴天白日のもとに防波堤の突端で自家製の長木刀を振った。卑らしい教頭の息子は上半身をさらけだす。防波堤を望めるあらゆる場所から小便臭い少女たちが見ている。
「騒ぐんやったら向こう行け!」
 僕は海に向かって怒鳴って、小次郎以上に努力してしまったのかもしれない。女の子たちから母は勇姿を伝えられて、夕食時に何やら嬉しそうに取り留めもない罵声を置いたものだ。そして剣道以上に、海以上に、この世には素晴らしいものがあることを教えてくれたのは、やはり偏屈だが人間の本質を見ぬいていた父であった。
「美江がおまえを書きたいそうや」
 おそらく彼女は、練習に疲弊した浜坂一の優美な肉体を所望しているに違いない。
父が唇の端に笑みを浮かべながら言って三日も過ぎると、僕は汗まみれの濃紺の剣道着姿のまま山の手の豪壮な家を目指していた。予感を押え込みながら、さも朗々と玄関を開けると、美江自信が向かえ出るでもなく、いつもは瓢箪畑でしか見かけぬ祖母が、娼館の主のように喜んで僕の手を強引に引いていった。美江は油絵の具と日本海が拮抗している香りの中で、恥じらいの睫をベランダに向けていた。
「そこに立って…そこにもたれて…」
 キャンバスから目を離さず震えるように呟く美江は、男物らしい大きすぎるトレーナーにそれこそ生瓢箪のような肌肉を包んでいた。小一時間も立っていてやればいいだろう。後は暑がって上を脱ぎ捨てて、陰毛に似た数本を生え揃えた乳首を見せてやろう。僕はその一年ほど前に、姫路でラ・フランス「鹿沼えり」に酷似した叔母から喜びを教えられていた。
 さても…美江はどうする…彼女が真の芸術家なら僕のすべてを見たくなるだろう。
 美江は襖の影で苦悩の果てに熱そうな溜息を吐いた。
 そして彼女の目は痛たがらず、青の時代の獄門を垣間見ようとしていた。
 それにしても袴というものは、屹立を面白味もなく隠し、焦らすように纏わりつくので笑ってしまった。
 二人の噂が少しずつ聞こえるようになった頃、美江はデッサンの後の床話で、この時の僕の苦笑の意味を執拗に問い詰めていたのだった。

 先輩と美江は浜坂の阿呆議員の祝辞に白けていた。
 あの奥さん、そういえば日活の紅玉「田中真理」に似ているな。媒酌人の住職の奥さんの遣り手らしい美しさのことである。子供を産んでいないので、僕のような若僧でも住職を蹴りたくなるほど若々しい。僕は錫色に照り返すうなじを見ながら呟いた。
「公僕にも慰めるポルノあり。よって公僕にも確たるロマンあり」
僕は先輩と美江に酌をしにまわった後で、特別に用意してもらった「あごの竹輪」に満悦な住職へ近づいた。
「そればっかり言われるわ、こうやって夫婦揃って人前に出るとな。歎異抄を紐解いて五十年、この「あご」に手を合わせること、裏山から滴りくる水に手を合わせること、あれの喜ぶ顔を見ること、この三つがわしのような坊さんにようできることや」
 あの時の小柄な住職の眼光は、日活ロマン・ポルノの最後を飾った「竹中直人」のように隆々としていた。
 日本人の性は飛魚のようではないかと思っている。魚でありながら魚であることを一瞬忘れて、水の恵みから飛翔して永遠を見ようとする。すると日本人に限らないわけか、危うさと心地よさの攪拌は、はてさて。
 翌年の晩春、新横浜駅で税関ボーイズの予備軍になる後輩を待っていると、紺のスーツ姿で大きな鞄をさげた住職の奥さんを見つけてしまった。友人に歌舞伎座へ招待されて上京したとのだった。二日後、寮でボーイズが烏賊の匂いに包まれながら「早乙女愛」の釣鐘に目を丸くしていると、僕あてに酔った声で女性から電話がかかってきて大騒ぎとなった。奥さんが中華街で「北京家鴨」を食べたいと言ってきたのだった。
「浜坂の子って鈍い子ばっかりなんだから…」
 北京家鴨よりも添えられた白髪葱が美味かった。朱の長襦袢が僕のために取り出される夜。思っていたよりも我が侭な奥さん。揺籃の後にやってきた海鳴りは、口惜しいけれども日本海のものだった。それを奥さんに囁くように伝えたが、長襦袢の朱を汗ばんだ額に翳して眠っていた。
 奥さんの肌の脂身もすっかり忘れた晩秋、さしもの日活ロマン・ポルノも幕を下ろしてしまった。
日活らしい棲息の終焉の内容に肩を落とさず、竹中直人の熱演に転戦する勇気を見ていたのは僕だけだろうか。
 そしていつもの休日、相変わらず僕と山田、ポルノ・ボーイズの残り滓は、伊勢崎町の雑踏を歩いていた。後ろを来る後輩のボーイズは、妊娠させてしまった黄金町の彼女の言に困惑しきっていた。
 僕はその日の白昼にあって北欧ポルノを斜め見して大欠伸をもらして、夕方から独りで候孝賢の「風櫃の少年」を見て愕然としていたのだった。

                                       了
いいたかないけど数学者なのだ (生活人新書)

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