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蒸留所   Naja Pa Sue [Malraux Camus Sartre 幾何]

 私はタクシーの運転手にスペイサイドの蒸留所を告げた。五月の空は晴れあがり気温は上がっていた。林檎の白々とした花弁がこの日とばかりに歌っている。なるべく自転車ほどの速さで悠々と行ってほしいと思った。それにしてもスカーフを被った伏し目がちな少女が見あたらない。そうだ、林檎の花弁から「りんごの木」という介護業者のロゴを連想している大阪人がここにいる。遥々、トム・スティルチェスを訪ねてきたことはそっちのけだ。そして中年という河岸に両足をどっぷりと浸けてしまった今日この頃、目の前のスコットランドの健在さは、嫌がおうにでも無謀な二十代の自分を炙り出してくれる。十分に若かったトムと出会ったのはグラスゴー。私が在日韓国人だと言っても信用してくれなかったオードリーと出会ったのはロンドン。無謀に載せた虚勢とプール学院出の姉仕込みの英語が私の全てだった。
「君が言っている日本の中の韓国人っていうのは、スコットランドの中のノルマン人とかピクト人とかとは違うのかい?」
 トムはあの頃と変わりなく容赦ない語り口だろうか。そう回顧するまもなく、容赦云々を相も変わらず唱えているのはおまえだけだ、と聞こえてきそうだ。
「ノルマン人?そこまで遡らなくても、もっと近代になってから、大陸から英国に移住した人たちがいるだろう」
 ゴールウェイ出身のトムは実際に思いついたのか、大きく頷いて薄まったスコッチのグラスを当ててきた。私はしっかりと記憶している、彼が「ユダヤ人」という言葉を吞み込んでくれたのではないかと。あのバーには被虐的に「ユダヤ人」と言ってほしかった私がいたようだ。
 こんな私たちをグラスゴーで出会わせてくれたのは、若さ、スコッチウイスキー、そしてセルティックだった。
 若い私はなりふり構わず中村俊輔を追っていた。それもセルティックのユニフォームを着て左足を振りぬくナカムラを見たかった。ファン心理というものが鏡像を踏まえているのは仕方ない。私は独り、壁の一点へ向けてボールを蹴るのが大好きで、一重瞼の朝鮮顔を前髪ばっさりで隠していて、独り、祖父のいる鰺ヶ沢を訪ねた夏休みの思い出に浸っている少年だった。日韓共催のワールドカップに背を向けて宿命を受け入れたナカムラ・シュンスケ。鏡の中にいつしか勝手にシュンスケを見ていた。濡れそぼった前髪を払いボールを置いてゴールの隅を射る眼差し、あれを温もっているイタリアの芝上ではなく、鰺ヶ沢のようなスコットランドのそれで見ること。なんとも地上の直観と杞憂は人間の思い通りになるものだ。感動のためのロマンの神は浪花節の恵比寿さまと一晩語らってくれたのだろうか。
 若いトムは二〇〇五年からゴードン・デイヴィッド・ストラカンを追っていた。ストラカンはダンディーFC、アバディーンFC、マンチェスター・ユナイテッド、リーズ・ユナイテッド、コヴェントリー・シティでプレーした右サイドの技巧派プレーメーカーだったらしい。らしいというのは、トムにしても選手としてのストラカンの最初の記憶は、リーズ・ユナイテッドを優勝に導いたときの新聞写真でしかないからだ。彼が二〇〇五‐二〇〇六シーズンよりセルティックFCの監督に就任したことがトムに至福をもたらしたのだった。
「あの年は素晴らしかった」
「そうさ、リーグ戦の優勝とUEFAチャンピオンズリーグの出場権の獲得…シュンスケはやってくれたね」
「翌年はさらに素晴らしかった。レンジャーズに圧倒的な差をつけて首位を独走してのリーグ連覇!そしてチャンピオンズリーグのグループリーグ、しびれたね」
「そうだね、マンチェスター・ユナイテッドやベンフィカにホームで勝って、チャンピオンズリーグのベスト十六…特にマンUを相手のシュンスケのフリーキック!」
「レノンの鬼のような顔とマロニーの坊ちゃん顔が実に対照的でね」
「トム、どうしてシュンスケの、ナカムラの名前が出てこないんだ!」
「君をからかっているのさ」

たとえば
僕がグラスゴーの街に精通していること
トーキョーのこともよく知らないのに
とても詳しいということ
写真でしか見たことがない女の黒子
誰もが知る上唇の右端
項の生え際に血の固まりのような一つ
左の乳房
垂直に落ちず膨らもうとする鞍点

たとえば
僕が酒場で友達になりたい彼らのこと
ハートソン
悪夢のように白い象
潅木を芝をクレソンを散らし舞わせよ
マローニー
礫を投げつける悪童
野苺を蛇梨をクレソンを彼女の籠に隠せ
ウォレス
蚯蚓とクレソンを束ねる王子
スコットランドは永久に健在なり

たとえば
君は世界の奥深さを目の当たりにする
地の果ての港町から
長靴の土踏まずを経由して
神の足はやって来た
静謐なまま万能の予感をもって
アスファルトから洋上へ
洋上から石畳へ
羊骨の散らばる贄台を越えて
クレソンが繁茂する沼を越えて
神の足はやって来た

 私はトムの言うとおりにスペイ川に架かるゴシックな橋のたもとでタクシーを降りた。トムは中世の橋の番人のように待っていてくれた。彼の少女のようだった頬と唇と顎は、挿絵にぴったりな疲れたロビンフッドの人相にはまっていた。お互いに発声する間もなく悟った、自分たちが風景に否応なく映える歳になったことを。あれからどうした、などと言うものなら聞こえないふりをしよう。私が言うことは決まっていた。
「いい川だね」
「そうだろう、これがスペイ川さ」
 私たちは野を越え樫の林を越えて蒸留所を目指した。若かりし頃の饒舌さはどこへ行った。これでいい、二人を黙らせているのは分別などというものではないのだから。それは眼と指先が感じてしまった北風や樫肌の堅さだろうか。しかし疲労は微塵も感じない。何やら互いに微笑み合うような顔をあげると、老いた白鳥のようなイースターエルキーハウスが忽然と見えてきた。
 私が蒸留所にトムを訪ねた日は、つい一週間ほど前に完成して間もない新しい蒸留所への神秘と期待に澱んでいた。目の前にした新しい蒸留所のスロープは、私にH・G・ウェルズの荒涼たる未来を想わせた。
「ウェルズを?そうか、あの屋根の形が火星人が乗ったポッドに似ているって?」
「タイムマシンだよ。人間が地に住まわしてもらう最終的な理想形が見えるようだ」
「あべのハ・ル・カ・スだっけ?そう、あべのハルカスが人間の目指す住まいじゃなかったのかい」
「よく言うよ、君はロンドンやグラスゴーから遠ざかりたいばかりに来たんだろう、スペイサイドに」
 私が想った荒涼たる未来とは、垂直志向に辟易としてしまった人間が、高度な知性を育みながら地の精霊に捧げる未来である。鰺ヶ沢の祖父の血が、スコットランドの土と水と樫を、幼い少女のように掻き抱こうとしていた。イースターエルキーハウスの隣のビジターセンターは、正真のスコッチウイスキーが大地の恵みであることを啓示するパノラマ・ステーションである。私はセルティック・パークを見渡したときの感慨に再び襲われていた。
「外観にばかり圧倒されていないで、中のポッドスチルの林を見てくれ」
「火星人が乗ったポッドもぶっ飛ぶことを期待しているよ」
「技術だよ、技術。君のナカムラや僕のストラカンが培ってきたもの、神に捧げるべく練磨してきた技術、人間の尊厳そのものといえる技術、その技術があるんだ」

                                       了
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