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ゴルメサブズィ   氏家 秀 [Malraux Camus Sartre 幾何]

 2019年7月21日、ウクライナのキエフ(後にキーウと発音するようになってキエフという響きが懐かしくなるとは誰が想像しただろう)で最高議会選挙が行なわれて、ウォロディミル・ゼレンスキーが率いる新党「スルハ・ナロード党」が、424議席中240議席以上を占める圧勝で議席ゼロから一気に第一党になった。
 僕はこの正午のニュースを桜木町の「シン」のTVで茫洋と見ていた。ロシアとかの国が日本と朝鮮半島のように腫れ物突っつき愛憎史の間柄とはね。普通にTVをつけていればロシアに近い黒海寄りで何やらキナ臭いことは知っていた。それにしてもウクライナといえば京都のあの店だ。
 僕の記憶は閃光のごとく、北山通に沿ったウクライナ料理の店を手繰り寄せてしまう。五十を過ぎたばかりのラーボチニク(店主)であるイーゴリとハジェイカ(女将さん)ターニャのボブリャノフ夫婦、そして一人娘カーチャの親子三人が営む十三席ほどの可愛い店「イリヤІлля」のことである。僕はロシア語学科の友人の紹介で一日四時間ほどアルバイトとして二年ばかりお世話になっていた。 母娘に「梅太郎冠者」などと呼ばれて悦に入っていた自分がもはや気恥ずかしい。今から思えば薄給の極みながらも夢のように楽しかった。サンクトペテルブルク生まれの店主イーゴリは、夏になると仕入れや避暑を兼ねて奥方ターニャの故郷キエフへ帰省していたので、男は自分だけの火照る飛び交う夜。京都での日々は店の三和土に根付いた紫御殿のように愛おしいものだった。
 就職活動とかで「イリヤ」を辞めてからは幸せ過ぎた反動そのものだった。なんとか卒業して生まれ育った東大阪に帰ったものの、根っからのナマケモノには金型工場や化成加工の営業などさっぱり身につかず、今は流れ着いた先の横浜で不動産会社の総務部で欠伸ばかりしている。そこへキエフでの騒乱ときて僕は大いに刮目していた。
 話を一触即発じみてきたウクライナへ戻す前に「シン」について言及しなければならない。横浜だからというわけではないが、一見、フライパンを煽っている町中華のような外見の「シン」は、一口で言えば中近東風味の無国籍料理店である。レバノン帰りの大友伸輔(おおとも・しんすけ)が一人できりまわしている屋台のような七席の店だ。僕がここで週二から三で食しているのがゴルメサブズィ。これが嵌るんだ。
 ゴルメサブズィはイランの具沢山の黒豆スープである。パセリやコリアンダーの煮込まれた葉緑は見方によっては毒々しいが、葱類や乾燥レモンなどの香辛料が効いているのでカレーのように白飯(チェロウ)にかけて食されているらしく、すぐに○△ライスとかに飛びつく日本人なら一度はお試しあれ。
「日本へ帰ってくると決めた半年ほど前かな、前から気になっていたイランに立ち寄ってレシピを得てきたわけよ。この前も言ったように、磯子に生まれ育ってずっと横浜、でもって、あそこの弁天橋の際にあった銀行に勤めていたらさ、何かこう体調を壊しちゃってさ、銀行をさっさと辞めた。辞めた時がさ、ホメイニがちょうどイランへ戻った時でさ、イスラム革命とか言っちゃってさ、イランに何故か興味を持ったわけよ」
 僕のような平穏と金髪とミルク肌が大好きな者にとっては、大友さんのように危険信号が鳴りっぱなしのイランへ勢い行ってしまう病み上りの気が知れない。そしてヴィザが下りないと知ると、帰るでもなく一旦エルサレム着でシナイ半島を数年ぶらぶら…やがてレバノンのベカー高原で、観光客相手のトルコ料理も恐れをなすような繫盛店のシェフになったとさ。
「今でもこうして鍋をかき混ぜていてさ、ふと目を上げると日本人ばかりでさ、何かこう夢でも見てるんじゃないかって気分じゃん。八百屋に行くとリークやフェヌグリーク、黄えんどう豆が見当たらなくて焦っている俺がいるわけよ」
 僕はゴルメサブズィがけライスをかき込みながら唯一の飲食店体験、京都のウクライナ料理の美味しさをぶつけようとしたが、ターニャの二頭筋とカーチャの後れ毛うなじのミルク肌ばかりが去来して「あれ、ボルシチとヴァーレニキしか記憶にない」という始末。ゴルメサブズィとボルシチじゃ異種格闘技のようなと言ったら言い過ぎだろうか。大方の日本人はボルシチがロシア料理だと思っていて、一見水餃子のようなヴァーレニキがペリメニだと思っている。店主イーゴリはサンクトペテルブルク出身だがキエフを宇宙の根源のように羨望崇敬していた。そこへもってきて昨今の一触即発じみてきたニュース。検索してみれば「イリヤ」は営業しているようだが、あの日本贔屓で明朗だった娘カーチャが簡単なホームページひとつを作っていないことが気になった。
「若くて馬鹿野郎だった俺はさ、アメリカに盾突くイランがどうも格好良く見えたんだろうな。でもって、馬鹿なまんまだとすると、大国ロシアに盾突こうとしているウクライナが格好良く見えそうなんだけれど…ウクライナのユダヤ人虐殺とかのネオナチっぽい報道だとかさ、イスラム教徒への侵害の報道とか見聞きしちゃうとさ、どうも格好良く見えるだけじゃ馬鹿まる出しかな、とか思っちゃうじゃん」
 ここで第二次世界大戦前からのウクライナに対する知識不足、ミルク肌のカーチャの記憶に惑う優柔不断な僕は、皿底のゴルメサブズィを啜ることに逃げ込もうとした。それを見計らったようにガラ鳴り引き戸が開けられる。見つけたと言わんばかりに翡翠ばりのラメがかったジャケットのエイコのご登場。
「あたしも梅太郎と同じのちょーだい。カルピスソーダも一緒にね。二人で難しい顔してるから何かと思ったら、やっぱゼレンスキーじゃん。戦争が始まっちゃうね。だってゼレンスキーが大統領になったらさ、あの小っこいプーチンは黙ってないっしょ」
 僕は彼女の訝んだ美しい眉から真っ赤な唇を忙しく観察した。今や神戸っ子も憧れる浜っ子言葉(勝手にそう判断させてもらえば)を流暢に捲し立てるエイコがいた。
 四年前の春先のことだった。市内の女子大学の中近東講座へアラビア語講師として招聘されたエイコ・ハジャル、イラン系アメリカ人だという三十二歳の彼女を見分したいアパートへ案内する役目を暇な僕が仰せつかった。社名ロゴが入ったレモン色のウィンドブレーカーを着た僕は、伊勢佐木町の蛇の看板の前で些か緊張しながら彼女を待っていた。小春日和に上着を脱いだ女たちが行きかう。アラビア語の先生は未だ厚着のまま冬の様相だろうと思っていたら、過ぎる人も羨むこと然りな背の高い青林檎色のブラウス姿の美女に声をかけられた。
「初めまーして…ヨコハマ知りません…よーろぅしぃく」
 エイコが案内したアパートを気に入ったのか、案内し終わった後の僕との映画談議に乗ったのか、はたまた案内した僕のフェミニストぶりに参ったのか。京都でボルシチ皿を運んでいたころの僕は戯曲家志望だったので、美貌をドキドキちら見しながら偶々、場末で観たナギーブ・マフフーズの脚本による「カルナック・カフェ」なんぞを話題にした。後にも先にもアラビア語に顔を顰めながら映画を見たのはあれが最後だろう。いずれにせよ「ヴァイオレント・ムービー私見ないです」と恥ずかしそうな上目遣いだったエイコが四年経ったら「二人で難しい顔してるから何かと思ったら、やっぱゼレンスキーじゃん」と横浜に生きるアラビア語講師にさっさと大変身。
 僕がわざとらしく腕時計を見ながら席を立とうとすると、エイコがゴルメサブズィの皿を受け取りながら溜息混じりに言った。
「こうなっちゃうとね、梅太郎は芝居好きで映画好きじゃん?だったらウクライナ人の監督の『ドンバス』は観たいじゃん?」
 僕は観念して座り直した。そして彼女のカルピスソーダを一口飲んで、午後の予定を問題の多いアパートのクレーム処理へ転換する。エイコが悪いわけじゃない。もちろんウクライナが悪いわけでもない。大友さんのゴルメサブズィが悪いのだ。
 三年後、ロシアがドンバス地方に侵攻してから、やっと僕とエイコは「シン」で待ち合わせてセルゲイ・ロズニツァ監督の「ドンバス」を観に行った。

                                       了
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