SSブログ

ソーローヴェル   Naja Pa Sue [Malraux Camus Sartre 幾何]

Sørover
 私の文体は、チキン・ハンバーガーのタルタルソースの円やかさに飽いた生意気な少年、しかしその食性から逃れられないロマンティックなだけの世間知らず、おそらくそんなものなのだろう。そもそもがスコットランドに生を受けていながらイングリッシュらしい高慢な視点に汚されていた。インド人のナジャになって書いてみても、メガーラーヤにオードリーは分裂症の鏡像もどきに現れた。英語で書くナジャなら英語を母語とするオードリーの気持ちが分かる?対象に距離を置きながら対象から強引に感動とやらを頂こうとしている半端な詐欺師だ。それでも恥も外聞もなく拙戯曲をDonbasドンバスの民へ捧げる。


二〇二二年 二月二十七日 二十一時

場所
 ノルウェー オスロ

登場人物
 ギュリ…ギュリ・イェンセン
 ソリィミンツ…ソリィミンツ・イェンセン
 外交官…元外交官と称している日本人
 カレン…動物行動学者と称しているアメリカ人
 マクレイリ…マクレイリ・ストラン

(クリスチャニアと呼ばれていたオスロの旧地区にあるヘヴィメタルバーGULLの内装は少々疲れ気味の黒壁と蛇を模した黄金のモール張り。上手寄りにスポットライトが当たった黒い一枚のカウンターに黒い六脚のスツール。下手寄りのライトが当っていない暗がりにテーブルと長椅子の簡単なラウンジ。繰り返し鳴っているのはバンド=メイドの曲「スリル」。カウンターの中にはイェンセン兄弟の剛髭の兄ギュリがマスクをつけて黙々とグラスを磨いている。入口側(上手)の二脚に初老の男(外交官)と中年の女(カレン)が座って透明のアルコールらしきものを飲んでいる)

外交官 勘違いも甚だしい。ウォー・ホースっていうのは、イングランドが舞台の馬の話だよ。
カレン イングランド?イングランドは、たしか…合衆国が戦った国よね。
外交官 独立戦争だよ。随分と古い話だな。それはともかく、私が最初にウォー・ホースを観たのはブロードウェイのミュージカルだった。
カレン ミュージカルって…あなたって外交官だったんでしょ。
外交官 外交官だってブロードウェイのミュージカルぐらいは観るさ。
カレン(うわの空でカウンターに立てかけてあるCDケースを見つめる)ところでさ、この女の子たちが歌っているのって何語?
外交官 日本人のグループだから日本語さ。俺だけが聞き取れる…失敬、俺とマスターだけが聞き取れる日本語さ。
(マスターことギュリがグラスを磨きながら深々とお辞儀する)
カレン 曲名がスリルって?どうせ大したこと歌ってないんでしょ。ま、それでいいんだけどね。
外交官(うわの空で脇に置いてあったニューヨーク・タイムズを取り上げて)大変なことになったな、ドンバスは。ソレダルの娘たちはどちらへ逃げたのだろうか。
カレン あたしの友達はキーウにいるんだけれど、うまく逃げてくれたかな。
外交官 キーウは失敗するさ、ロシア軍の侵攻はね。
カレン それってさ、合衆国やドイツからウクライナへの武器供与が始まるってこと?
外交官 それもあるが、そもそも…
(入口が金属音を立てて開いて、風が吹きすさぶ音がしたかと思うと閉まり、トレンチコートに毛織帽子にマスクをしたマクレイリ・ストランが立っている。外交官とカレンが凝視する中を悠々とカウンターへ近づいて両手に消毒アルコールを吹きかけて正面のスツールに座る。外交官とカレンは慌ててポケットからマスクを出してつける)
マクレイリ(マスクを下げて)ウイルスが蔓延していようと黄金(GULL)は健在だな。いつものを飲ましてくれ。
ギュリ 弟はずっと姿を見せていないよ。
マクレイリ そうか、なるほど、じっとしてられないのはイェンセンの血筋なのかもしれない。
ギュリ(コースターの上にグラスを置いて透明のアルコールらしき飲み物を注ぐ)あんたが呼び出したんなら姿を見せるかもな。
マクレイリ(すぐに一口呷って嘆息)ときどき思うんだ、我々ノルウェー人は生活するために南下していった、度々。本当にそうだろうか。むしろ生活することに飽きて南下していったんじゃないか、とかね。
(カレンがいかにも関心を持ってグラスを掲げて見せる)
カレン 今晩は、普段はフロムに住んでいるアメリカ人です。こちらへ来て十年以上にはなるんですが、発音がノルウェイジアンのように聞こえるといいんですけれど。
マクレイリ 十分ですよ、アメリカの方。乾杯。
カレン 乾杯。あたしはネコ科の美男ばかりを追いかけている動物行動学者で…こちらは今かかっているバンド=メイドにも詳しい若々しい日本人の元外交官。
外交官(小さく舌打ちして面倒そうに)ここのマスターがバンド=メイドやベビーメタルとかの日本のロックに詳しいんでついつい…近くに住んでいます、日本を追われてから。乾杯。
マクレイリ 乾杯。私はこの子たち、店主のギュリや弟のソリィミンツたちを教えていた英語教師です。英語で話しましょうか?いや、やめましょう。今は退官して、日がな一日、TVと新聞三昧です。
カレン 先生が仰った、ノルウェー人は生活することに飽きて南下していった、それって具体的にはどういうことなのでしょう?
マクレイリ 具体的も何もないですよ。お国の合衆国に例えれば、私の勝手な考え方ですが、開拓時代に西部へ西部へと目指していたのは生活するためだけだったのでしょうか?もう一度、誤解を覚悟で言いますが、私の勝手な考え方すれば、東海岸のマンハッタン島などで生活することに飽きて、そう、西部を目指したのでは?
カレン つまり日常に飽きて危険な冒険へ乗り出したと仰るわけですね。
外交官(小さく舌打ちしてギュリへグラスを掲げる)今日はスーシルがねれているだろう。あとこれをお代わり。
マクレイリ スーシル?私もいただきたいな。
カレン あたしもいただきたいわ。そして話が弾んできたからお代わり。
(ギュリはカウンター下に屈んでスーシルらしきもの三皿を取り出して配してから、アルコールらしき透明なものを外交官とカレンのグラスへ注ぐ)
マクレイリ スーシルを肴に飲まれるとはさすがに日本の方ですね。あらゆる魚貝類を酢でしめたスゥシ(鮨)の国…でも私は鰊のスゥシはトッキョー(東京)では食べませんでした。
外交官 私も半世紀以上、あの国で鮨を食べてきましたが、この北の海の魚、鰊の鮨などにはお目にかかっていません。
カレン 何でもビネガーをかけてマリネにしちゃうってのはフランス人じゃない?
外交官(鼻で笑ってカレンのグラスに自分のグラスを軽く当てる)仰っているスゥシの料理の仕方ではお目にかかっていませんが…私の母は山村部、そう、(カレンをチラ見して)フロムのような山村で生まれ育ったものですから、同じですよ、保存食として乾燥させた鰊を煮たりして食べていたようです。
マクレイリ(呷ってから深く頷き)私があなたに、あなたの国に抱く尊敬と親近感は、そこから発していると言っても過言ではないでしょう。まったく食は体質を決定して、食は意志を決定して、食はおそらく思想をも決定しているのでしょう。
外交官 何とも大げさな物言いですな。
マクレイリ あなたのような国際人には大げさで古風な言い方に聞こえるかもしれませんが、ここは王国、あなたの国もたしかテンノー(天皇)という皇帝を頂点となさっている。
外交官 天皇が出てきてこんにちは(カレンを可笑しそうに睨んで)王だ、皇帝だ、天皇だ、と猿山のボス猿のようにね、オスだ、雄だ、と男社会を押し付けられてはねぇ?
カレン 茶化すのはやめて、言っとくけど、アフリカ象やシャチ(鯱)なんかは最高齢の雌がボス扱いなの。
(マクレイリが割り込むように言いかけた時、入口が金属音を立てて開いて、息を切らしてソリィミンツが現れる)
マクレイリ おお、待っていたぞ、フレドリクの末裔にして、王国の誇り。
ソリィミンツ お待たせしました、我らが英会話教室にして、スヴォボーダの檻に誘うくたびれたサタン。
マクレイリ なんとも過激な物言いは血筋だな。しかし外国からのお客さまには、市場での疲れを兄の店で癒そうとする下品な弟の雄叫びだな。まあ、いいさ。奥のラウンジへ行こうか。
(マクレイリは悠々と席を立って、睨みつけるソリィミンツをかわす様に肩へ手をかけて、ラウンジのある下手の方へ軽く押しやる。マクレイリはギュリへ指を立てて二個のグラスを要求しカウンター内のボトルを掴んで、外交官とカレンに向かって軽く会釈してラウンジへ向かう)
ギュリ(マクレイリの後ろ姿から目を離さずに自分のグラスに口をつける)あれでも、昔は、俺と同じように、無口で陰険な先生だったんですよ。いや、陰険なままなのか。
(カウンターのライトが徐々に落ちて暗くなり、ラウンジのライトが徐々に明るくなる)
マクレイリ(ボトルからグラスへ注ぎながら)今日の市場はどうだった?トナカイの胸腺、あれば下あごの唇もいいな、あったら押さえておいてくれ。金はいくらでも払う。
ソリィミンツ (乾杯をする仕草で)羽振りがいいね、ここのところの先生は。
マクレイリ(勢いよく呷って軽く咽る)何度も言っただろう、金は英語と日本語、そして、この腕についてくる。
ソリィミンツ 柔術やら空手の話しだったら聞き飽きてる、帰るよ。
マクレイリ 短気なのは、美人だったが世間知らずのヒステリー女の血かな。
ソリィミンツ 組み伏せられるのは覚悟で一発くらわせようか。
マクレイリ フレドリクも凄みをもって冷静に語れる人だったようだ。そう、イェンセンの兄弟は子供の頃から祖父譲りの寡黙、ときとして冷静な語り口だった。しかしギュリは落ち着いた家長を演じることで精一杯だ。とても祖父のようにモスクワを攻略すべく「現代的なヨーロッパ軍」に志願入隊することなど思いもよらないだろう。おまえは違う。
ソリィミンツ 先生は俺をどうしたいんだ?
マクレイリ 1944年十二月七日、第5SS装甲師団ヴィーキングの第9SS装甲擲弾兵連隊ゲルマニア第7中隊長として黄金ドイツ十字章を授与された、祖父フレドリク・イェンセンの冷徹な気概の血統を私に預けてくれ。
ソリィミンツ だから会ったこともない爺さんがナチスの元中隊長だったとしても、今のウクライナのスヴォボーダ(全ウクライナ連合「自由」)とかいうのが、遠いオスロの市場の腕っぷしもさほどじゃない俺に何を期待するって言うんだ?
マクレイリ 私はおまえの英語教師だった。今は週に二度ばかり日本語と格闘技を教えている。
ソリィミンツ だから二、三人を教えているだけのあんな教室で、随分と羽振りがいいもんだって言ってるのさ。
マクレイリ 私に投資する人間は、私が育てる才能に投資してくれているのさ。おまえの血統はお飾りにすぎない。私が言いたいことは、おまえの一四九もある高いIQを預けてくれ、ということだ。
ソリィミンツ 血統がどうの、IQがどうの、先生は俺を猟犬に育てたいだけだろう。
マクレイリ 猟犬か、なるほど、いや、猟犬は飼い主を裏切らない。血統の誇りもIQを背負った宿命についても分かっていない。
ソリィミンツ だから遠いウクライナの極右政党の連中が俺にどうしてほしいって言うんだ。
マクレイリ 聞いてくれ、おまえがよく引っ張り出すスヴォボーダよりも、ウクライナ国家親衛隊の中核をなすアゾフ大隊の方がはるかに分かりやすい。酔う前に頭に浸み込ませることだ。
ソリィミンツ 聞いているよ。
マクレイリ アゾフ大隊も今はアゾフ連隊だが、そのアゾフ連隊のアンドリー・ビレツキー、彼はかつて「白人による十字軍を率いてユダヤ人に率いられた劣等人種と戦う」と宣言したり、テロリストとして収監されたりしていた。しかし当時のポロシェンコ大統領に勲章を授与されて、今やウクライナの国会議員だ。彼は少年時代から「ソ連を駆逐した解放者」としてのナチス・ドイツの戦いに、ナポレオンの会戦を寝物語のように聞いていたバルザックのように心酔してきた。そのアンドリーと私は日本の武士道精神で繋がっている。
ソリィミンツ おかげで俺も兄貴も、日本語で歌う日本人のバンドや瓶を叩っ切る空手に夢中なおかしなノルウェー人と相成りました。
マクレイリ アンドリーはおまえが作って流した誹謗中傷を大変気に入っている。一昨年の「黒い太陽尼」だよ。カンヌ国際映画祭でルイユ・ドール審査員特別賞とかを受賞した「バビ・ヤール」の監督セルゲイ・ロズニツァを叩いたあれさ。あのデマ、いや、あの闘争の号砲の構成力、そして何と言っても悪魔のようなコンピュータ知識、つまりはその不機嫌そうな額の裏のIQをアンドリーはご所望なのさ。
ソリィミンツ(嘆息を漏らしてから暗いカウンターの方をちらりと見て)日本の武士道精神で繋がっているって言ったけど…あそこにも日本人らしい客がいるけど、どう見ても頭は良さそうでも獰猛なバイキングには見えない。
マクレイリ あの繰り返される曲、バンド=メイドの「スリル」とかいうらしいな。あれこそ正にかつての日本の海賊「倭寇」の曲、すなわちバイキングの曲じゃないか。
ソリィミンツ(頭を抱える仕草)俺は兄貴が好きなんだ。兄貴はあの市場で、この店で、俺をずっと食わしてくれた。俺たちはもう兄弟二人だけなんだ。
マクレイリ 兄弟二人だけが残った、私もそうだった。そして、今日も、今晩も、この瞬間にも、ウクライナのドンバス地方では兄と弟、あるいは姉と弟が破砕された瓦礫の下に取り残されている。
ソリィミンツ(グラスを勢いよく呷って)たしかフレドリクはスウェーデンのイースタッドで没したんだよな。
マクレイリ 墓参りでもしていくつもりか。
ソリィミンツ まさか…先生に言われるまでもなく、ここオスロが俺にとって危険になってきているのは感じている。マラガあたりまで南下する資金繰りをしてくれ。
(マクレイリが満足そうに頷いてソリィミンツの肩を叩いて、そして席を立つとラウンジのライトが徐々に落ちて暗くなり、カウンターのライトが徐々に明るくなって、マクレイリは「スリル」に合わせて揚々とスツールへ戻る)
マクレイリ ソリィミンツも酒が強くなったな、一人で飲ましてくれとさ。こっちも飲みなおすか。日本人の方とアメリカ人のレディへも一杯ずつ差し上げてくれ。
外交官(鼻で笑ってカレンに目配せして)もう帰ろうと思っているとこれだ。
カレン このスーシルだっけ?これは危険だわ、爽やかで、海の男っぽくて。
外交官 私のようだって言っているのかい?
カレン 茶化すのはやめて、老いてもなお盛ん、って日本語でどう言うのか知らないけれど、スーシルはあなたが言ったような乾燥させた鰊じゃなくて、見なさいよ、若々しい(ギュリをちらり見て)弟さんのような鰊なんだから。
マクレイリ アメリカの方、この私も、もはや乾燥鰊ですかな?
外交官 先生、ご同輩、ここノルウェーの干し鱈と同様、我が日本では乾燥させた鰊の方がはるかに高級品なのです!乾杯!
カレン 何だかよく分からないけれど、乾杯。
マクレイリ(ギュリをしっかり見据えて)歳は取りたくないもんさ、乾杯。

                                          幕

楕円関数論 (シュプリンガー数学クラシックス)

楕円関数論 (シュプリンガー数学クラシックス)

  • 出版社/メーカー: シュプリンガージャパン
  • 発売日: 2007/03/01
  • メディア: 単行本



nice!(1)  コメント(0) 
共通テーマ:

nice! 1

コメント 0

コメントを書く

お名前:
URL:
コメント:
画像認証:
下の画像に表示されている文字を入力してください。