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オブシディ   Jan Lei Sue [Malraux Camus Sartre 幾何]

 私にはオブシディ・ルル・ド・ギョメというダンサーが、パリの日々の天候のように気になる存在である。
 今年のシーズンの幕開けこそは待たれていた。長年オペラ座の舞台を見続けているファンに、新世紀バレエを充分に堪能させるものとなった。二十五年前、オペラ座のダンサーと批評家にほとんど受け入れられることのなかったヌレエフ版の「白鳥の湖」で、オブシディ、ヌレエフバレエを再生したもうひとりの立役者オーギュスト・ジロー、この二人が二十五年の時を経て、このバレエの本質を再度指し示すかのごとく舞台に立っていた。舞台は二十五年前の初演時に比べて、斬新さをはるかに凌駕して野生的な印象を与えた。オブシディの父親で美術担当のシャルル・ド・ギョメが語るには、自分の故郷エクス・アン・プロヴァンスと、早くに亡くなった妻の故郷セネガルのサンルイを何度も咀嚼して舞台に再現した、とのことであった。
 このようにファンとオペラ座とフランスにとって、順風満帆なステップで蒼天王道を行く観のオブシディであったので、私はダカールの殆ど忘れかけていた友人ソニンケから、シャルルとオブシディの父娘を見た、という連絡を受けた時は殆ど信じられなかった。確かに一週間ほど前からオブシディは体調を崩して代役を立てるようになっていたが、あれほど自らの万全さと裏方への過ぎる気配りをできるダンサーもざらにはいない…オブシディの身に何がおきたというのだろう。しかも父娘二人が密かに向かっていた所は、首都から内陸に向かって車で八時間も行ったジャワラという村だった。早すぎるほどに早い情報には理由があって、ほかでもないそのジャワラ村はソニンケの故郷なのである。いずれにせよ、私は荷造りしてオデオン駅に向かい、翌々日からソニンケの大家族に囲まれて1週間を過ごすことになった。
 村の家々は剥き出しのコンクリート造りが多かったが、塀は日乾し煉瓦で作られたものもまだあった。約束した場所までは、村を出て久しいソニンケもあてにならない素朴な迷路そのものである。刈り込んだ芝の英国式の迷路と違って、肩や肘に大地を感じながら辿り着く迷路の先では、子供たちの好奇な眼差しの中央に美しい人オブシディがいた。
「ここはイスラームの学校です。子供たちはイスラームとセネガル国立の二つの学校に通っています。村の親達はイスラームですから、イスラームの学校に行かせたい。 国としてはフランス語を中心とした学校に通わせたい。結局、両方の学校に通っているわけです。私がバレエを始めた頃のように、普通の学校が終わってから、もう一つの学校に通っているわけね」
 初舞台の頃、まだあどけない表情を隠せない頃のルルは、黒曜石の英語でオブシディアンと呼ばれた。「そうね…『サマータイム』を生涯に一度演じられれば、それで満足かな」と言っていた。そんな野心の欠片もあまり見えないような彼女に、偶々食事を同席していたボビンレース編みの大家が、レース地タイツを提案したことにより、彼女の脚は黒鳥でも白鳥でもないものになった。そしてルルはオブシディになった。
「彼女はママジャーレという子で、私が勝手に村一番の美人と決めたの。写真を撮る?って言ってみて、慌てて着替えてきてくれるから」
 オブシディが賞賛するママジャーレの足には刺青があった。刺青と言っても妖しさを見ることはできない。彼女のあどけない目元の若さが、足の踵からふちに沿って流れる羊歯模様を落書きのように見せていた。
 村には1件だけレストランらしき食事所があった。しかしソニンケが言うように、村人は家で食事を済ましてしまうので、私たち以外に誰が食べに来るのか疑問だった。
「父はやっと糊口凌ぎの舞台美術から開放されたのよ」
 端正なシャルルはその店で白い粒状を啜っていた。ミルというミルク粥である。村人が日常に食する粥は粟と稗ばかりだった。レストランでは屑米のミルク粥が、舞台美術をやめたばかり、という老人を和ませていた。
 親子が泊まっていた家は鍛冶屋だった。シャルルは自分と同じ年齢の男が鎚を振いやすいように手伝っている。合間には娘オブシディが村に来た記念にと、教わりながら村人たちがつけているのと同じブレスレットを完成させようとしていた。
「父には母の次に鍛冶屋が夢だったらしいわ」
 ソニンケの兄達は山羊を料理してくれた。鉈で割られた頭がオペラ座のプリマドンナを見上げている。オブシディが立てた片膝は思わず触れたくなるほど美しい。呟くように話しながら骨に歯を立てている様は絶対の美獣だった。
「私にもし才能があるのだとしたら、黒くて強くて女性的なるものを抑制して、白くて弱くて男性的なるものを愛しむ、そういう才能だと思います」
 父親のシャルルは上を仰いで十字を切った。もとより寡黙だった舞台美術家が、やっと望んでいた鍛冶屋になったら微笑むしかない。
 シャルル・ド・ギョメの少年時代は、戦時中のレジスタンスに明け暮れたといっても過言ではない。戦後は理論物理で学位を取得して、核エネルギーの開発研究に着手した。そしてひとつの実験の成果を得た後に失踪する。アフリカだった。サンルイで愛する人を見出し、彼女を伴ってプロヴァンスへ戻り教師となるが、程なくして…またフランスから逃げるように荒野へ逃亡した。そして娘が生まれたことを海岸で知った。
 シャルルにとってすべてを娘に捧げるべき人生が始まった。やがて肌色がカラードの娘が、バレエを習いたいと言いだした。才能がある…オーギュスト・ジローのこの言葉に打ち震えた日があった。娘が愛しているバレエに自分も関わりたい。そしてバレエなら白鳥を踊らせたい。たとえまともな白鳥を踊れなくとも、父が、シャルルが美術と効果で新しい白鳥に仕立て上げてやる。シャルルは砂漠をモティーフとした斬新な舞台美術で、遅ればせながらデビューを果たした。当の娘はオペラ座で踊れるなどと想像もしていなかったらしい。たとえ跳躍力があろうとも白鳥は白い人が踊るものでしょう。父は首を振った。
「おまえなら、オブシディなら、今までのバレエの慣習や常識をひっくり返せる」
 白いレース編みのタイツが事態を変えた。正確には、レース編みタイツのオブシディを立てた白鳥の脚色、その売り込みに奔走したシャルルと仲間にフランスが応えたのである。ある評論家は「レース編みのタイツなど無くともすでにシヴァ神だ」と言った。そして「今後、我々は白鳥を見るとき、オペラ座のオブシディに感謝しなければ」とも。
 山羊を味わった後で、ソニンケの他愛もない問いに彼女は笑いながら答えた。
「私は引退したら…そうね…父が鍛冶屋になるように、北のおばさんの所に行ってボビンレースを習うわ」
 私はオブシディが舞い踊るオペラ座を誇りに思っている。

                                       了
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