SSブログ

仏蘭西海岸松   Jan Lei Sue [Malraux Camus Sartre 幾何]

 マノンが目の前を粛々と流れるジロンドについて言っていること、ガロンヌとドルドーニュが合流してできる川で、遥かビスケー湾に注いでいることなど、それは高槻生まれで十三育ちの越生信望(おごせ・しんぼう)を緩やかに感傷的にしていった。チンボ(少年時代の信望を知る女たちの呼名)が原付のとろとろハスラーに跨って、中途の淡路でマノンの痩せ肩にそっくりな女子高生の彼女を拾って、川べりに出たいがために十三から淀川まで走っていた日々があった。あの子は食っていなかったから痩せ肩だった。マノンはしっかりと食っていて淡い雀斑だらけの痩せ肩だ。運動している様子もないから受け継いだ痩身の質なのだろう。
「あたしね、マノン・ファティマ・O・D・N、になろうと思っているの」
 チンボはマノンが何かに「なろうと思っている」ことに驚愕してしまった。名前の後ろにラテン語のO・D・Nを付けるのは聖マリア修道女会、それくらいのことはボルドーに二年もいれば知っている。まったく何を考えているのだ。先週までの感傷に過ぎた破滅志向はどこへいった。
「何かいいことが、なんて言うのか、マノンを喜ばせるようなことがあったの?」
 マノンは縮れた長い髪を掻き揚げて灰色の瞳に軽蔑を滲ませた。
「シンボーこそ何を言っているの?あなたは日本人、花鳥風月に無常を読み取る日本人なのでしょう」
 これだから日本ないし日本人を知ったつもりでいるフランス人は話にならない。正確には、ナイロビ生まれの父親とパリっ子の母親を持つ英国籍にしてボルドー住まいのマノンなのだが。シャンソンの風土と日本の平安時代を勝手に同じ鍋に放り込んでいる。
「テレーズはどこへいったの?アランを毒殺する、って言っていたのは誰?」
 マノンもまた己の気まぐれに辟易しているのだろうか。そしてそれを指摘されることに痒みに似た憎悪を待機させている。わがままというよりは血筋なのだろう。マノンの実姉エイプ、ロンドンの下水道管理会社の事務をしているエイプも、実生活と性生活に情熱をたぎらせた言葉を並べながらも、現実の行為においては淡白で幻滅していた。
「日本人の無常の果てのSacerdoce bouddhiste(出家)、そう、僧侶になることは自然なのでしょう?」
 これだから日本ないし日本人を知ったつもりでいる白人は話にならない。チンボは今更ながらソルボンヌでの専攻の早計を悔やむしかなかった。おまえにとってモーリアックが何だという。テレーズが旦那に砒素を盛った、だからどうした。
「だったら、なればいいじゃないか、そのO・D・Nに」
 チンボはそろそろパリへ戻ろうと思っていた。
「あたしがアランのことを忘れられないと思っているのね」
 これだから日本ないし日本人を知ったつもりでいる高慢ちきな文学少女は、日本人の留学生すべてを気遣いのできる箸使い男だと勘違いしている。いや、フランスに来てからのチンボの遣りきれぬ憤慨こそは、自分こそが高慢ちきな文学少年だったと自覚させられることにあった。
 およそ文学少年が生え出る環境というものは、隔離されていて渇きと水やりに絶妙な場所である。私鉄王の妾の子だった彼の父親は、早々と郊外電車の役員となって高槻に豪奢な居を構えていた。女子社員だった彼の母は、十三の盛り場を相手にしてきたスーパーマーケットへ脱皮しようとする八百屋の長女だった。両親はチンボが生まれて九年後に離縁する。越生姓を継ぐことを条件に十分すぎる養育費を雨水のように受けて育った。あれよあれよという間に不良と恋愛に憧れる文学少年が生え出でる。淡路の拒食症の娘は、今にして思えば配役としては劇的に過ぎたかもしれない。つまり求めれば与えられないことはなかった、鎖骨の浮いた女も、フランスへの留学も。
「ねえ、アランのことを忘れられないと思っているのね」
 マノンは嫉妬されている女として繰り返し言っていた。さぞかし幸福なことだろう。可哀そうだが、表立った情熱よりも隠れがちな倦怠をつまびらかにする時だった。
「アランか。美男はやっぱり得だな」
 モンゴロイド男が溜息混じりにこんなことを言えば、世間知らずのコーカソイド女の返しは大体決まっている。
「シンボー、あたしが見た目だけでその人を判断するような軽薄な女だと思わないでね」
 見た目だけでの判断はともかく、チンボは突然訪ねてきた姉エイプと会話していく中で、モーリアックを読み解く仲間として交遊してきた妹マノンに、夏の淀みに繫茂する水草のように渇きを知らない軽薄さが見えていた。
「マノンがアランと別れ、そして日本人とも別れて、ボルドーのO・D・Nになろうとしている。そうだね、花鳥風月に無常を読み取る日本人はマノンを見送るしかないよ」

 ランドの森を形成しているのは日本語で言うカイガンショウ(海岸松)という松の木である。古来では森の一部に繫茂する松の一種という扱いだったが、羊飼いが暮らす広汎な湿地から羊飼いを追い出して、海岸砂丘の伸張を阻止するためと松脂抽出の用途をもって政府奨励のもと植林され続けてきた。しかし抽出された松脂を原材料としたテレビン油やロジンが珍重されたのもつかの間、もはや誰もが身近なものとしている石油製品との競争に敗れて、殆どがパルプの原材料にまわされている昨今である。
 それでもランドの森を巡るということは、カイガンショウの樹海に迷って揺籃することである。砂塵や潮風に向き続けてきた爬虫類のような樹皮にそっと手を置くと、帰ろうとしているソルボンヌでの生活の浮薄、そのような戻れる都市生活者の一時の逃避に対して、鈍重な懺悔を迫っているように感ずるのは自分だけではないだろう。チンボは最後に再び訪れたランドに、日本人には遂には理解できぬフランス、憧れるままに終わる地中海というものへの痛恨を置換していた。 
 マノンが気まぐれのようにO・D・Nになろうと、無骨な製材所の敬虔なカトリックの妻で一生を終えようと、かつてカトリック作家という証明書を携えて渡仏した遠藤周作の往時の情熱は及ばないのだ。そうだ、やがて仏として焼香の先にある日本人は現実的な経済人となろう。そうだ、テレーズが感傷にすぎたわけではなく、この地に生まれた作家が自律神経を弄びすぎたのだ。
 チンボはカイガンショウの樹皮からふやけた手を離した。どこにでもありそうなランドの海岸の松は、祖国では外来の侵略植物として警戒されているそうな。しかしながら死ぬには相応しい森ではある。そうだ、陽光はおびただしく、この盛夏にあって、全てが腐乱し果ててしまおうと、決して北国の清涼な形ある死を選ばぬことだ。あの松の隆々たる根に取り込まれて、彼の滋養となり、風になぶられる幹の陰に、脂の一滴として、この朦朧を幾度となく迎えるのだ。ボルドーの町を離れすぎたようだ。ジロンドのほとりへ戻ろう。ひとつばかり罪を加えたところでもはや何も変わらない。
 チンボはランドの森から逃れてパリへ戻ろうと決心していた。

「それからは高槻の親父も喜ぶほどに品行方正となって勉学に励みましたよ。お遊びをやめてからはソルボンヌで経営学修士となって、何とかパリバに入れたと思ったら、トウキョー、あのトウキョーですよ。それでシンジュクへ行けって言われて行ってみたら、パリバも方針転換や合併に巻き込まれて、結局はシンジュクのある銀行になっちゃって…中小企業向けの融資は回収不能が続いて…またまた、こうして甘い甘いフランスへ逃げ出しちゃいました」
 チンボは仏領の天国のような島の浜辺でそう言ってから胸の十字架にキスした。
「そういえば、姉のエイプがくれた手紙には、手紙ですよ、メールなんていうものじゃなくて手紙、その手紙には妹のマノンが一昨年、マノン・ファティマ・O・D・Nになったってありました。大したもんだ。我々もこの歳ですから、いいじゃないですか、罪を重ねた後に修道女なんて、さすがだ」

                                       了
いいたかないけど数学者なのだ (生活人新書)

いいたかないけど数学者なのだ (生活人新書)

  • 作者: 飯高 茂
  • 出版社/メーカー: 日本放送出版協会
  • 発売日: 2023/09/10
  • メディア: 新書



nice!(1)  コメント(0) 
共通テーマ: