SSブログ

死者の日のKoh   Vladimir Sue [Malraux Camus Sartre 幾何]

 私はカテドラル(メトロポリタン大聖堂)の黒いキリストを斜めに見上げながら日本人を待っていた。
 黒いキリストの十字架は、メヒコ・シティ(メキシコ・シティー)の中心に位置するカテドラルの豪奢な祭壇の右にある。そのてっかてっかの黒さには、かつて信者が毒に侵された際、このキリスト像が毒を吸い取ったため黒くなったという言い伝えがあるそうな。こんなところで会ったこともない日本人を私はかれこれ一時間ほど待っている。なんでやねん。
 申し遅れたが、私、ジョン・クマール・ホワイトは、司祭でも旅行記事をものにする記者でも何でもない。普段はシティ(ニューヨーク)で株や債券を売り買いして生活している(投資家などと言えた柄じゃない)。それもアルコールとアスピリンが大好物ときているので、ビジネス・スクールで学ぶことは早くから断念して、インドそしてアジア系の顧客を扱う投資顧問会社を共同で経営している父を手伝っているだけのことだ。
 そんな私の許へ異父兄にあたるハリーから「メヒコ・シティの有名なカテドラルの祭壇の黒いキリストのところで日本人に会ってくれないか」という電話がはいった。ハリーはミズーリのハンニバルで「ライス・リヴァー」という名前のケイジャン料理店を営んでいる。ハリーの父はベトナムで戦死している。そしてハリーと私の母にあたるグレタ、彼女は刺激的な生活を得るために自分の長身と美貌に背くことなど思いもよらなかった。ハリーの父がベトナムへ出征してしまうと、グレタは乳飲み子のハリーを店のテーブルに置いてハンニバルを出奔してしまった。そしてクリーブランドを経てシティへ流れてきた。幸運なグレタはホワイト姓のままでモデル事務所に登録すると、生理用品のフィルムでその肢体を認められた。さらに証券会社で胃腸薬を常用しながらモニターの前で頭を抱えていた日系のミチル・クマールが彼女の虜になった。空手四段の父ミチルのことだ。よって私はミチルに鍛えられた空手と日本語(関西弁)を携えて、母グレタから貰った浅黒い肌と長身でシティの小悪党どもを黙らせてきた。それはそうと、あれま、こんな時間になってもうた。煩雑な言い回しと黒っぽいアメリカ人を敬遠しがちな人に対して簡単に言えば、異父兄ハリーからメヒコ・シティを観光している私の許へ、やはり観光で来ている知人の息子が日本人なのでちょっと面倒をみてくれとの連絡があって、こうしてカテドラルの黒いキリストを見上げながらお待ち申し上げている次第である。
「明日、明後日の十一月一日と二日に死者の日のパレードがあるんだろう?知らないのか…どこにいるんだ?グアダラハラ?頼むからメヒコ・シティへ戻ってくれよ。そう死者の日のパレード…俺は映画のダブルオーセブンで観たよ。そのパレードを日本人が見たいんだってさ。母さんの従妹にあたるシャーロットっていう人の息子でコウヘイ(耕平)、そうコウヘイ、コゥーKоhでいいそうだ。ちょっとナイーブな奴らしいからよろしく頼むよ、ブラザー」
 ハンニバルを滅多に出ない異父兄ハリーから都合よくメヒコを観光中の異父弟ジョンは頼まれてしまった。それにしても遅い。日本人は約束の時間には厳しいと父ミチルはよく言っていたが、あちらにも生クリームを含んだような口端と目尻をもつホイットニー・ヒューストン似の母親の血が混じっているらしいから当てにならない。とか何とか言ってたら来た。おそらく背の高い奴がKоhだ。とてもシティでスシバーを営んでいる日本人の風貌ではない。それこそハンニバルかカンザスシティあたりがお似合いだが、あの目配りはタイムズスクエアをうろうろしている日本人そのものだ。
「こっちだKоh!シャーロット・モーリの息子コウヘイ、こっちだ。俺はグレタ・ホワイトの息子ジョンや。ちょいと関西訛りがあるけど気にせんといてや。親父の母、グランマが河内長野の生まれなんよ。ああ、Kоhはヨコハマ生まれヨコハマ育ちやったから、日本ではハマッコとか言うナイスガイなんやろ」
 私の悪い癖だ。いや、悪い癖と言うより、日本人や寡黙な東洋人を前にすると饒舌になってしまう。ワスプWASPやイタ公の前では隙のない寡黙な空手家に見せている阿呆が、ミチルの血なのか、誠実で素直そうな表情に出会うと猫可愛がりしたくなる。そう、Kоhは黒猫、いや、トレーダーとしてのミチルのオフタイムに必要十分なロシアンブルーの「ニラ(韮)」そっくりなブラック同輩だった。

「…てなことでAFH(American Female Honinbo アメリカ女流本因坊)の奈美子とここメヒコ・シティで待ち合わせてグアダラハラへ行ってたらハリーの奴が電話してきてさ、こうやってKоhと会っているわけで…気にすることあらへんて。奈美子はあくまでも友達で、彼女にはウクライナ人の彼女がおるんよ。俺もちょうど十一月一日のメヒコ・シティにおるわけやし、その死者の日のパレードいうもんを見ておいてもええかなと…ジャパニーズホラーは確かに独特で怖いけど…こういう趣味なのかい?」
 黒いキリストがやっと見える入口近い祈祷席にKоhと並んで潜め声のまま聞いた。
「僕は日本では映画館に勤めているのですけれど…」
「ああ、やっぱりホラー好きかい。そうやな、リングの貞子からしたら十三日の金曜日のジェイソンなんか笑っちゃうわな。ほんでな、なんやその…ですます調いうのは無しにしようや」
 Kоhは天井画を仰ぐようにため息を吐き上げた。私は悪い癖そのものの饒舌さを抑え込まなくてはならない。疎外感の重圧に殴り蹴りたい日本の日々にあって、河内長野の葡萄畑でミチルから伝授された「黒曜石然」の心境を手繰り寄せた。
「僕は映画館がある越谷という町へ地下鉄で通っています。いや、通っている。その地下鉄で、マタニティのような、お腹の大きい女の人がキューピーを産んで、もちろんマジック、パフォーマンスだけど…去年、これを信じてくれない僕の姉ユリア(友里亜)と一緒に地下鉄に乗っていたら、その女の人が姉を指差して、苦しそうに黒いキューピーを産んだんだ」
 私は黒いキリストの方をチラ見して七年前にやめて久しい煙草が欲しくなった。
「面白い話だ、続けて」
「その黒いキューピーを持ち帰って母のシャーロットに見せたら…凄く驚いて…その黒いキューピーはキューピーじゃなくて猿、モンキーだって言いはじめて、そして従姉のグレタ、君のお母さんだよね、今回初めて知ったんだけど…その母の従姉のグレタは黒い蝶を持っていて…それは十一年前にここに観光で来た時に博物館の前で翡翠の仮面のレプリカを買おうと思っていたら…えーとね、襤褸を着たおばさんがくれたそうなんだ。聞いてる?」
「ああ、君の話は聞いているけど…母のグレタがそんなものを持っているなんて聞いたことはないな。だいたいシティで時々、モデルみたいなことをやっていて、ちょっとリッチになるとメヒコはもちろん、ホンジュラスやブラジルを友人たちと旅行してばかりいたからなぁ」
 どうやらKоhも互いの日本語会話の理解以前に時系列上の組み立てが悩ましそうだった。
「えーとね、ぼくがなぜここまできたかということなんだけど、面倒だから名前にすると、シャーロットはかつてグレタが黒い蝶のソフビを見せびらかしながら言っていたことをよく覚えていて…」
 ソフビ?後に知ったことではソフトビニール製の人形や動物をそう言うらしい(日本人の悪い癖だ)。
「言っちゃうね、言っちゃうよ。シャーロットは興奮してグレタに事の次第を電話したら、グレタが言うにはだよ、黒い蝶はアステカの五つの太陽の伝説の第三の太陽のシンボルってことで、ユリアが貰った黒い猿のソフビは、えーと第二の太陽のシンボルってことかな。ここからが大事で…黒い蝶も黒いジャガーも、これは第一の太陽のシンボルらしいんだけど、二つともメキシコ人と親しいハンニバルのハリー、君の兄さん?」
「ああ、たった一人の兄だ」
「グレタはだんだん気味が悪くなってきて…ハリーへ第一と第三の太陽のシンボル、蝶とジャガーを渡してあるので、ユリアの猿のソフビをメキシコまで持参して、死者の日にこうして戻ってきた君と合流して、四つの太陽のシンボルをUSAで揃えみてくれと」
 私は背もたれを不愉快なほどギイギイ鳴らして、反り返ってジーンズのポケットから黒い魚のソフビが付いたキーホルダーを取り出した。グレタが、母がカンザスシティのプラットフォームで、やはり汚れた老婆から押しつけられた物である。すなわち第四の太陽のシンボルはずっとジーンズのポケットにあったわけだ。

 アステカの創造神話では世界は今日まで五回創造されたされている。第5の太陽と呼ばれる現在の世界に先だつ四つの太陽の時代はいずれも滅亡した。博物館の読み齧りだが、第1の太陽は「4のジャガー」(Nahui Ocelotl)といい、黒い神テスカトリポカが主宰していて巨人が支配していたが、ジャガーが巨人を喰い、滅亡した。第2の太陽は「4の風」(Nahui Ehecatl)といい、ケツァルコアトルという風神が主宰していたが、大風で滅ぼされ、人間は猿になった。第3の太陽は「4の雨」(Nahui Quiahuitl)といい、トラロックという神が主催していたが、日の雨で滅ぼされ、人間は犬、七面鳥、蝶になった。第4の太陽は「4の水」(Nahui Atl)といい、チャルチウトリクエという神が主宰していたが、洪水で滅ぼされ、人間は魚になった。そして現在、第5の太陽は「4の動き」(Nahui Ollin)といい、トナティウという神がが主宰しているそうな。他の4つの太陽と同様に地震によって将来滅亡し、人間は空の怪物とかのツィツィミメに喰われると考えられているそうな。
 そろそろパレードの時刻が近づいていた。Kоhは私の黒い魚のキーホルダーを外光に翳していた。親が変人ならば息子も変人などと言えた柄じゃないが、ハリーは灼熱のメヒコで私に嫌な汗を流させている。神々も空の怪物もいたって恐ろしくはないが、兄弟って何だろうとか、家族って何だろうとか、十代の小僧のように思考している。

                                       了
鷲か太陽か? (岩波文庫 赤797-2)

鷲か太陽か? (岩波文庫 赤797-2)

  • 出版社/メーカー: 岩波書店
  • 発売日: 2024/01/18
  • メディア: 文庫



nice!(1)  コメント(0) 
共通テーマ:

nice! 1

コメント 0

コメントを書く

お名前:
URL:
コメント:
画像認証:
下の画像に表示されている文字を入力してください。