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九のフエ案内   氏家 秀 [小説 戯曲 三島由紀夫 Balzac Kafka]

 曹文九(カォ・ヴァン・チィー)という漢字の姓名を、日本人は気軽に使って「チィーちゃん」などと呼びかけている。ベトナムでは胡志明(ホー・チ・ミン)ほどの偉人物を例外として、姓をもって「曹さん」などと呼びかけることはない。呼びかけるには馴れ馴れしい日本人の使い方どおりで、末字の名前だけを使って「九さん」「九ちゃん」と呼びかけるのが普通なのである。だから曹家の次男である九は、フエに到着した日本人に向かって「私はカォ・ヴァン・チィーです。どうぞ、チィーさん、チィー君、どちらかで呼んでください」と流暢な日本語を並べることになる。未だかつて日本人に漢字の姓名である曹文九を示したことはなかった。しかしながら曹家の九にとって、漢字の姓名は曹家の年代記を披瀝する標(しるし)だった。
 日本人が「チィーちゃん」と呼んでいる九が七歳のときである。ディエンビエンフーの戦いで名誉負傷した曹文琰(カォ・ヴァン・ジエン)、他家から「蛙釣りの琰(ジエン)さん」と呼ばれる祖父から「おまえも学校に行くようになれば、漢字の姓名は天井の北に仕舞ってしまわなければな」と言い渡された。どういうことかと縁側で煙草を吸っていた曹文順(カォ・ヴァン・トゥン)、他家から「夢の中の順(トゥン)さん」と呼ばれる父に聞くと、幾らか渋い顔をしながらゴロワーズの煙を吐いて「俺は中国人とアメリカ人が嫌いで、フランス人は友人もいて、さほど嫌いじゃない。しかし親父は、中国人もアメリカ人も、そしてフランス人も大嫌いなんだよ」と言った。これだけでは七歳の九には分からない。父は辺りに母のいる気配がないのを確認してから訥々と話してくれた。
「俺は親父から嫌というほど聞かされている。親父がだな、俺の母、つまりおまえの祖母ちゃんと出会ったのは、親父がフランス軍の捕虜になったときらしい。だから親父はフランス語だろうが、英語だろうが、ともかく横書きのアルファベットは大嫌いなわけだ」
 九は己が漢字の姓名について聞いているのである。
「分かっている、漢字の名前のことだから、要は中国人と親父の関わりだな、分かっている。そもそも、ここ、フエが阮(グェン)の都だってことが、親父をいつも苛々させてきたわけだ。一五五五年、阮の一族がこの辺りまで下がってきて広南国を建てる。どうだ、凄いだろう、お父ちゃんの記憶力…そうだ、一五五五年だ。この阮の一族、親父が言うにはだな、雲南の方から逃げ込んできた明朝の将軍の血が混じっている、というのさ」
 九が七歳でも感覚的に分かったことは、一五五五年という年号が憶えやすいということだった。
「明朝っていうのは中国の王朝で…まぁ簡単に言えば、阮の一族には、周りに対してすぐに親分面をしたがる中国人の血が混じっていた…」
 九は小便に行きたかったので、ともかく祖父は中国嫌いなので漢字嫌いなのだと納得した。父は股間を押さえて小走っていく息子に頷きながらも、二十世紀になって阮朝がベトナム帝国として復活する段を話そうとしていた。
 十七歳になった九は度々、自分が生まれた年に終結した戦争について父に聞いた。というより質問を投げかけた。しかし父はいつも仕事を理由に二言三言話して姿を消していった。その頃からフランス語を駆使して、映画監督や文化人類学者にフエ市内を案内していた。すると様子を窺っていたのか、無愛想なはずの祖父が入れ違いに背後に現れて、ちらりと外を見やってから大きく溜め息をつくのだった。
「あいつに、テト攻勢のことを聞いたって、そりゃあ話せないだろうさ。あいつが十一か十二のときだった。あいつは三月生まれだから、まだ十一だったのか…毎日、蟻の巣を踏み散らすような爆撃が続いてな…」
 九が父に問うたのは、テト攻勢時における米軍のフエへの爆撃、それを非難するフランス知識人の立場についてだった。さすがに理屈っぽい血筋ゆえか、十七歳の息子の質問ともなると親父も逃げ出したくなる。祖父は「蛙釣りの琰さん」らしくフランス人を軽蔑するしかなかった。
「最後は祖父ちゃんたちが勝ったことから分かるだろぉ?奴らは意気地がないのさ。図体ばかりでかくて意気地がない。たとえば…ジュネーヴ協定の調印の頃だった。祖父ちゃんが捕虜になったときに世話になった将校二人が、歴史好きでフエの王宮を見にやって来たとき、例の蛙を使った雷魚釣りに誘ってやった。祖父ちゃんは男の中の男だから、泥水を啜ったディエンビエンフーのことも一切口にしないで、針に蛙をつけるときから泳がせ方まで丁寧に教えてやった。しかし外堀のところで夕方までやってみたが、祖父ちゃんは大小二十二匹、奴らフランス人は一匹も釣れなかった。意気地がないのさ、居眠りをはじめて、最後は、晩飯は蛙の脚の葫炒めでいいよ、とかぬかしおった」
 九は祖父の勢いを抑えこむべく難題を放ってみた…確かに意気地なしのフランス人は二度も追い出したが、親分面をしたがる隣りの中国人との諍いが絶えないのはどうしてなのだろうと。祖父は肩を落として顎先を放るように外へ向けた。
「隣りとうまくいかないのは、お互い、生活をすることを諦めていないからだろうよ。隣の連中がうちを何て言っているか…理屈っぽいわりには漢字も横文字も会得していない釣り爺…もっとも順はフランス語も英語も話せるときている。煩い連中さ、放っておいてくれやしない。順の名前だって、あそこで居眠りしているあいつの親父が、師範面をした清朝贔屓の辮髪野郎で無理に押しつけてきたんだ。おまえの名前の九は、香港映画が大好きなあいつが、縁起がいいからと九龍からもってきて…」

 古都フエを観光案内する曹文九は、日本人に親しまれ「チィーちゃん」などと呼ばれている。日本語に堪能なことを褒められると素直に嬉しかった。
「一生懸命…そうです、一生懸命に勉強して日本語専攻の特待生に選抜されました」
 日本人観光客の半数は、朝の味噌汁を啜りながらTVニュースで「北爆」や「虐殺」を耳にしてきた世代だった。
「さぁ、私は七五年生まれなので…父はまだ子供で逃げまわっていたようですが…詳しいのはディエンビエンフーでフランス軍と戦った祖父の世代なのでしょうが、祖父は昨年、あちらの外堀の方で釣りをしながら亡くなってしまいました、眠るように」
 日本人の年配者は、城壁の黒ずみや運河の澱みに戦争を見ようとしていた。日本人が知りたい戦争とは、一九六五年二月七日の北爆によって始まり、一九七五年四月三十日のサイゴン陥落に至るTVニュースの実像だった。そして九はそれを断片として祖父から聞いていたが、未だ父から欠片ひとつも聞いていないことに眉を曇らせた。
「この運河は、舟を浮かべるための運河ではなくて、城内からの排水、そして城内に降った雨を溜めておく貯水池だったようです。爆撃されたとき…ぼうか…ああ、火を消す防火ですね…さぁ、私は七五年生まれなので…ところで、この運河はよく洪水になります。原因は、運河の底が泥でいっぱいになっているからです。だから雨水を溜められない…ああ、臭いますか…そこで、雨水を溜められるように、フエとパリ、フランスのパリと共同して、この運河の泥を取り除くプロジェクトが…ああ、そうです、フランスにはよくしてもらっています。もちろん日本にも…ああ、テト攻勢ですか…父や祖父は経験していますが…そうですね、戦争の話、もっと聞いておきましょう…」

                                       了
輝ける闇 (新潮文庫)

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