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スヤート19号   氏家 秀 [小説 戯曲 三島由紀夫 Balzac Kafka]

 只管ひたすら、大海上に連なる小笠原の島嶼の風物に魅了されている日々である。なかでも八丈島では、長年の八丈語の採集が照れ臭そうにも島民に寄り添えてきて、私という外来亜種に刺激されてか、島民の物語の記憶が少しずつ発酵してきたようである。言葉がある限り人は捨てたものではない。
「たしか定期潜艇『オジャリヤレ』の命名は先生によると、そう村長が言っていましたが…」
「オジャリヤレとは、いらっしゃい、ですから私じゃなくても、これしかないでしょう」
「それで…ご趣味がメタル・ポエムの収集…これは意外でした」
「そうですか、意外ですか。私の周りでは、性懲りもなく仕事と似たようなことをやっていては、息抜きにもならないだろうと、揶揄されていますよ」
「実は我々も、先生の八丈島へのご執着というのは、専門の八丈語の研究の他に、八丈の自然や名産品、顧問をされている飛魚の回遊調査ですとか、この壁一面にみごとに架かっている黄八丈ですとか…」
 そう言ってTV局の老けこんだ女性アナウンサーは、私の背後に架かる三反幅の黄八丈に目を細めてコーヒーを啜った。豆は八丈のものである。
「あなたも大変ですなぁ。最初にここへ来られたときは、まだ高速潜艇も運行していなかったころで、中国の大型客船『漢渡』が、月の『豊饒の海』に緊急着陸したニュースで騒いでいた日でしたね」
「そうです、辿り着くのに、月並みに時間がかかる八丈島へ行かせるのだったら、鰆のような若い女子アナを行かせろ、とかで…その鰆にも、来年には孫ができるんですよ」
 私は含み笑いながら慰めるように、錫のポットを彼女の八丈焼のカップへ向けた。
「メタル・ポエムのことなのですが…」
「そんなに意外なことでしたか…むしろ、人工頭脳の詩人もどきが、私が生きている間に、こうもぱっと話題になって、ぱっと衰退していくとは、それはそれで意外でした」
「言葉の研究をされている一方の旗頭」と彼女は暗誦するように言ってからバッグヘ左手を入れた。「そのように世間一般では見られている先生なので、我々のような有象無象が安易に思ってしまうのは、例えばランボーの商人時代の見積依頼の書簡とか、ボルヘスとロルカとの間の幻の四十七日間往復書簡とか、そういったものの探索発掘が趣味と仰るなら二つ返事で納得してしまうのですが…」
「それこそ息抜きにならんでしょう。それに、ボルヘスとロルカの書簡を探したほうが儲かりそうですね」
「そういう先生ならば、メタル・ポエムの絵画性に着目して…こういうものが開発されているのはご存知でしょうが」
 彼女は私の掌の上に、チタンのような鈍い艶の金属板を恐々とおいた。
「手から伝わる脈拍と、ミラー代わりのカメラが捉えた表情筋や光彩を分析して、日本語なら千字までの韻文、あるいは散文が創作される…ちょっと見てください」
 そう言いながら私の右に擦り寄ると、板に軽く爪をかけて化粧小鏡を開くように二つ折りを割った。私の乱れた白髪と窪んだ近眼が他人のようにある。噂には聞いてはいたので、手前面にするすると白紙の短冊画像が立ってきたことに驚かなかった。
「すみません、私用に俳句モードにしてあります」
 彼女が小さくはにかむと、墨汁がたれるように楷書体で「煌々と 宇喜多の島の 鴎ぶり」と書き下された。正直、私は好むところだった。
「宇喜多の島、ここが八丈だということを認識していて…いいんじゃないかな。商品としては、どうなんでしょう、売れているのですか?」
「売れているとは言えません。詩情素子『ソネット21』の最先端系で、コンパクト型の『ストゥーバ』という名前で売り出されたのですが」
「名前がどうも…『ストゥーバ』って卒塔婆のことでしょう」
「ええ、おそらく。この『ソネット21』の最新版を組み込んで、九十秒で作詞作曲し、そしてテーブル上で五人組み編成のアカペラ・コーラスを聞かせるドール・セット『ファイヴ』は、まずまず売れているそうです」
 私は思い出して迂闊にも甲高く上擦ってしまった。
「そうそう、あれはいいですね、あのパペット・サイズの五人組みは『ジャクソン・ファイヴ』ですね。あれはほしいなぁ。『ジャクソン・ファイヴ』は『マイケル・ジャクソン』の兄弟が一同に揃ったグループで…祖母が大好きだったのです、マイケルも兄弟も。よく聴かされたものです」
 彼女は私の一九七〇年代の音楽知識に唖然としながら、掌の上で揺らめく俳句を消して、些か気まずそうに別の画像を立ちあげた。
「すみません、この『ストゥーバ』に収録してきた画像なのですが…ちょっと先生に見ていただきたくて」
 夜の海浜の特設舞台、どうやらダーウィンの近郊らしかった。舞台中央のしなりくねった円柱の上方から、小気味のよいタップを鳴らして赤紫の伸縮状が下りてくる。百足型ロボットだった。百足型でも建設や鉱山の現場から距離をおいた特製の彼ら、彼らの詩は素晴らしい。「ソネット21」に似たポエム機能を組み込んだ彼ら、彼らの充分に地に近い農民目線の詩は、私の収集するメタル・ポエムの一群を成していた。円柱を下りきった百足型が、さて、やはり英語で赤茶けた大地のことでも吟じてくれるのか、と思いきや…それこそ殺虫剤を吹きつけられた百足のように、小さく痙攣微動して停止してしまった。そして撮っていたカメラが夜空へ向いた。噴射音を追ってライトがあたる。つや消し黒の粗タイル張りに見せかけた大きな人型。私らしく形容すれば、巨大な木偶人形、あるいは祖母がやはり好きだった観音菩薩、それに酷似した潜水ロボットの骨董品あたりではないかと思った。
「これが、今、警察、公安当局に睨まれているスヤート19号です」

 私はP(エル)。エウロパのこの基地で再起動してから20917日めの静かすぎる朝である。木星軌道上の目下の関心事は、やはりこちらへ向かって来ているというスヤート19号のことだろうか。
 中央管制のMM(マダム・マサコ)は、いつものように接近予測を発せられただけだが、流星で大破棄却したЖ(ジェー)の後継、浮遊探査のボンボリ(雪洞)は、誰彼構わず地球で起きた変事を話したくて仕方なかったようである。
「どこの首相かはあえて言いませんけれど、白虎の粉末、ホワイト・タイガーのミート・パウダーですよ、それが強壮剤で効くと思っている国の首相ですけれど、その首相が『信者が認識の究極形態として崇めている気持ちは分からないでもない』などと軽々しく言ったものですから、アジアでは修道系の学者や企業が、スヤート19号に対して少しずつ放任ないし理解を示すような発言も出てきています。もちろん興行や行事の妨害で死者二名を出しているので、彼の破壊行為を全面的に指示する発言はありませんが…そうです、相対的禁欲説法ロボット、もっとも相対的という言葉は彼自身が頻繁に唱えていて、警察などは単に禁欲説法ロボットと呼んでいるようです。おっとと、先輩がお笑いになるとは…いいえ、先輩ならこの発音するのも気恥ずかしい日本語にどう反応されるのか、実は少々興味があったのです。想像力の欠片もない命名、などと言うと、来年にはこの身が棄却処分されてしまいそうですが…禁欲説法、たしかに笑っちゃいます。しかし名前のスヤートは、およそ2700年前のサンスクリットによるもので、日本語にすれば『ある点からすると』という限定視点による相対的認識を…おっとと、その笑い方は、私の辞書の棒読みのような言い方に、想像力の欠如については他人をとやかくは言えまい、といった感じですね」
 私はボンボリの流暢な語りを笑った(正確には通信回線の過剰反応)わけではない。ジャイナ教という古美術のように残る古代インドの自由思想のひとつ、それを中枢に据えて真正面から人間に禁欲することを教え諭そうとするロボット。芸能に長じたロボットの舞台を急襲した事件は、最初は興行主の派手な企画の一端と思われていたが、ダーウィンにおいて観客二名の死者を出してから、やっと画像が見れたのは一昨日だった。MMの冷ややかな眼を気にしながら開けてびっくり!通信の詩情分析などあてにしていなかったものの、体型が「観音菩薩をモチーフとした美大生の傑作」とか、概形における「大いなる偶像回帰」という表現は、騒ぎの陰でちらほらと見えて気にはなっていた。そして画像を見てびっくり!西安の一年も作動しなかった巨大なだけの兵馬傭ロボットそっくり!これは笑うなと言っても、皮肉と俗悪の効果的な処理に手馴れている私にも困難なことだった。もっとも、私が形状を嘲るだけの衒学趣味の蟷螂型ロボットであれば、スヤート19号なる者は木星の軌道を目指して来ていないだろう。
「先輩の言われ様は、スヤート19号がこちらへ向かってくる目的は、先輩にあると…」
 私の予測は、それこそ、ある点からすれば、私という存在の宿命なのだろう。私の完成と、完成した私が人知も及ばぬ美しくも残酷な辺境へ送り出されること、それだけを願っていた日本人。そして彼の研究を見守るままに消耗していった彼の妻、おりしも彼女はスリランカの純情だったのである。彼女が彼の許を去れば、封印してきた研究を再開することは必然だった。それは「トリ・ラトナ」という日本語で言う三つの宝、反快楽と反感動、そして反関係、これらの極北ともいえる(彼女が言い残した意味での)正義機能。私に向かってくるスヤート19号、これは宿命なのである。おそらく、流暢にして陽気な友人、我がボンボリは停止、あるいは破壊されるだろう。
 私はP。スヤート19号か、私か、どちらか片方しか残れぬ運命ならば…私を完成させた日本人が、私のような詩吟の鉄くずの基礎体として、概形の機甲性、体型の蟷螂型に拘った気持ちが、いささか憂鬱なまま分かるような気がする。

                                       了
猫のパジャマ (河出文庫)

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