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三峡20時5分   梁 烏 [Malraux Camus Sartre 幾何]

 梁先生が張妙珊(チャン・ヨンシェン)と待ち合わせした「阿賢菜店」は、妙珊が勤める分局から横渓に沿う内山公路を行って、右折すれば渓を渡る橋の手前の曲がり角を左に入る渓北街にあった。分局からは歩いて行ける近さで、癖のない郊外らしい伝統的な台北料理を掲げている。それゆえ梁先生は早速に箸を指揮棒のように揺らしてご満悦だった。
「豚肉と椎茸、あるいは豚肉と木耳、それとも周旦啓(チャウ・ダンチィ)なら猪肉と木耳とか口にしたのだろうか?」
 妙珊は空芯菜炒めを箸で解すようにしながら言った。
「痩周窮人、痩せた周さんと言われていた新龍教の教祖、周旦啓は完全な菜食主義者だったらしいじゃないですか」
「そう、父方が凱達格蘭(ケタガラン)族であったことが、彼をして肉を食うこと、こういう脂身厚い肉から顔を背けることとなった理由なのかもね」
 梁先生はやおら箸を十字架状に掲げて祈る仕草をしてみせた。
「願わくは、彼の首を斬った蛮刀がケタガランのものでないことを…」
 妙珊がどう応えていいかと箸を宙に浮かしたとき、待ちかねていた林亞星(リン・ユシュン)からの着信音「七里香」が鳴った。
「声が随分と疲れているみたい、あたしのジェイ」
「疲れているみたいって…何時だろう?8時を過ぎたか、立派に腹がすく時間だな。まだ情人橋の現場にいるんだ」
「情人橋?あらあら、なんともロマンティックね」
「そう言うと思ったよ。そこに梁先生はいらっしゃる?一時間ほど前、周旦啓の内縁の妻の遺体が回収されたんだ、ここの桟橋の陰になったところで」
 妙珊は驚いた顔のまま携帯電話を梁先生の方へ翳した。
「亞星が言ったこと聞こえました?周旦啓の妻も殺されたって」
 梁先生は瞬時に険しい眉間となって箸を置いた。
「妙珊、正確に伝えてくれ、妙珊!外傷が見当たらないから、殺害か自殺か、もしくは事故かどうか、まだ分からないんだ」
「わかった、わかったわよ…」
 亞星のいつになく興奮して甲高い声に、妙珊も箸を置いて頷くしかなかった。

 情人橋が架かる桟橋公園には、毎夜ながらの若々しい喧騒がそこ彼処に点在していたが、彼や彼女は一言話すごとに突端の方の緊張を窺っていた。溺死体が見つかったようだが、どうもいつもと様子が違う。酔っ払いや自殺のそれの身元確認とはどうも違う。囁き合っていた彼や彼女は、背広の張った肩から危険臭を振り撒く刑事たちが振り向くと慌てて目を逸らすのだった。
 亞星は妙珊への電話が切れてから待ち受け画面の彼女の笑みを呆然と見ていた。
「曹美齢の秘書、曹宇の娘だったのか…」
「三峡の交通隊の子か…なかなか美人じゃないか」
 背後からというか右脇から背の低い候警部補が呟くように言った。
「曹宇の娘も、少林紅拳の師範だった父親の言うことを聞いて、おまえのような腕っぷしだけは強い男に惚れていたら、こんなところで蟹の餌になどならなかったかもな」
 亞星は携帯を懐に入れながら自分の拳を見ながら言った。
「ご存知のように自分は空手ですが…たしか周旦啓の妻、曹宇の娘は、曹美齢の弟がやっていたプロダクションの俳優と一度できていたんですよね?」
「ああ、梁林沖だ。今でもなんとか、みっともない悪役でたまに出ているよ。そいつと破局した後…曹宇がそいつを間近で見ていたので猛反対して、娘を日本へやってしまったわけだが、どうもそこで周旦啓に出会ってしまったようだ」
 亞星は弾かれたようにまた懐に右手を入れて手帳を取り出した。
「日本の奈良、ナラっていうところですか?」
「どうだったかな、日本でも随分と古い町で…そう、周旦啓が言っていたのは、そこのカシハラ(橿原)というところで最初のお告げを聞いたそうな、新龍教のね。それはそうと、曹宇の娘を確認に来た教徒の連中が、やたら声を大にして『自沈された』とか『教祖さまの跡を追われた』とか言っているのが気に食わん」
 亞星はそう言って見上げた警部補の毛虫眉を睨みつけて頷いた。

                                       了
ビビアン・スーの我愛Taiwan

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