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小説 戯曲 三島由紀夫 Balzac Kafka ブログトップ
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アルバトロス   Naja Pa Sue [小説 戯曲 三島由紀夫 Balzac Kafka]

 母さんと最初に海を見に行った時、私はまだ充分に砂上を歩けなかった。そして転んで砂まみれになった顔をあげた時、この世で最初の白人に出会った。金糸のような胸毛を風に弄らせた海神、それがサー・ヘンリー・スチュアート・ビリンガム子爵だった。子爵の笑顔は凄かった。私は中空に舞い上がった。あのまま渚へ放られても、子爵や世界の暴虐を恨むどころか、光を浴びに母の胎内から出てきた者の末路として受容していたことだろう。子爵は私の頬に笑顔を寄せて、ブルーのような銀の頬髯を擦りつけられた。その灰色の瞳は落ち着きなく好奇心に踊っていた。後に母さんから聞いたのだが、そこはリチャーズベイとダーバンの中間にあたる浜辺らしい。もちろん、ビリンガム家に仕えるようになってから、右手を母さんに、左手を子爵に預けて歩いたその浜辺には行っていない。そもそもここ五十年ばかりはケープに行っていない。あのとき浜辺を吹き過ぎていた東南風、からりとしたケープ・ドクターのその感触は、子爵の陽を映した瞳と共にかろうじて記憶に残っている。あの風はまったくドクターだった。ケープを後にして上陸したプリマスも温暖で、貧乏海賊の岬で遊んだ帰りの海風も心地よかった。そして紛れもない今の風が、剃ったばかりの老い肌に雨滴をもって吹きつける。目覚めてなお続いている悪夢でもなく、教会堂の切妻壁の彼方に暗鬱な水平線が見えた。朝から苛立った冷たそうな白波は、凝灰岩の壁を上ろうと蠢く羽虫の大群…しかし否定するほどの風景ではなかった。教会堂の窓を閉じるほどの風ではなかった。
「もういちど聞くけれど…どうしてこの島だったの?」
 メラニーはアイロン掛けを終えて、私の古いシャツを打っ棄るようにおいてから聞いてきた。ビリンガム家の家政婦頭にして、私こと執事バート・キャンベルの妻である。そして「どうしてこの島だったの?」という問いは、アイロン掛けの遥か以前、四日前にやっと洋上から集落を認めたときから三度目だった。
「もういちど答えると、ヘーラクレースの十二の冒険のひとつ、それがここエディンバラ・オブ・ザ・セブン・シーズEdinburgh of the Seven Seasなのだ」
「そのプリマスの酒場の三文芝居のような言い方はやめて…疲れたわ、昨日から降ったりやんだり、加えて鳥の糞が子供の悪戯みたいに窓を叩くし、毎晩のメインは塩っ辛いヘイクhakeのフライとチップス」
「イングリッシュらしくていいじゃないか」
 メラニーは鼻で笑って反り返ったが、音声は喉で鳴らずに飲み込まれた。おそらく「ンデベレ族の祈祷師が気取って」とか「ショナ族の筋骨には肉が必要なの」とかだったのだろう。そしてメラニーが老いた家政婦らしく、執事である私にあたることは無理もなかった。現在、御歳四十四歳のビリンガムの当主、サー・ポール・スチュアート・ビリンガム公は、テムズ・ウォーターThames Waterの役員にして、ロイヤルホロウェイRoyal Hollowayの論理哲学の講師にして…動物愛護団体Dogs Trustの理事にして、国際災害救助隊IRCの広報まで請け負われていて、独身をいいことに世界中を飛びまわっていらっしゃった。メラニーはポールさまが幼い頃より、陸海空と瀟洒荒涼を問わずに陰に日向に付き添い、執事である私はひたすらサウスケンジントンの留守邸をお守りしていた。しかし、忘れもしない、二十三歳のポールさまが精神科の治療を受けられたとき、メラニーは座っている私を机ごと暖炉へ押しつめた。そう、追いつめたのではなく、野兎が住まう生垣を日本製の重機が押しつぶすように、凄まじい泣き声で私を押しつめた。そのときに私は了解した。私は彼女を愛している痛みを、明確に引き出しの樫の取っ手で知った。それからの私は、留守邸を一旦引退していた両親に頼んで任せ、自身も携帯電話(普及していない頃はトランシーバー)と分厚い備忘録を持って、ポールさまに付随するメラニーの後を追ってきた。そしてヘーラクレースの冒険よろしくポールさまが向かわれる先々で、散らばる共感を夫婦で拾い並べて味わってきた。旅先のきっかけはポールさまの事業と好奇心にあったので、人知を超越したような驚愕とは遭遇しなかったが、ポールさまを追いかけるに時として老体は辛くなっていた。人の哀しみを聞き取るポールさまの才能は、神々に抗う同胞の住まう地を選ばなかったのである。
「あたしが気がかりなのはね、島の痩せた猫ちゃん。さすがにショートヘアが多いと思わない?思わないか…だったら、ンデベレのあなたとショナのあたしが、こうして夫婦になったきっかけは?」
「ビリンガム家にお仕えしてきたからだ」
 難破船から得られたという鐘が鳴った。メラニーは勢いをもって椅子から立った。
「もし仮によ、この島がショナ族の島で…二百人の島民になるまで二百年が過ぎているとして…」
「メラニー、落ち着いてくれ。ポールさまのお帰りが遅いとき、または朝になって連絡もなく戻っていらっしゃらないとき、君はいつも苛立ってしまう」
「いいから聞いて、そのショナ族だけ二百人の島に、ンデベレ族の祈祷師の息子で弁が立つ、背が高くてマサイのような脛をもったバートっていう若い男がやって来たら…島はどうなると思う?」
 私は冷めた茶を飲み下して椅子を立った。
「あたしの母、あたしの祖母、隣の親戚の女たち、いいえ、牧師さんの女房までが口を揃えて、若いあたしに言うでしょうね…メラニー、あんたは運がいいって」
「やめろ、ここはカトリックの教会堂だぞ!君はポールさまのことになると…」
 メラニーは私にシャツを投げつけて、唸るようにして堂の集会所を出て行った。どこへ行く気だろう。朝早くからポールさまが誘われて行ったところ、そこは亀礁と呼ばれる岩礁とのことで、アルバトロス(アホウドリ)が群生しているらしく…そこで島中の若い女たちがビリンガム子爵を待っているとでもいうのか…メラニーが島民の誰彼を構わずに「泥棒猫は許さないよ」と怒鳴っている姿を想像してしまった。私は払い除けようとしたシャツを持って、集会所から堂奥へ向かって軽く十字架をきった。あとはアルバトロスに導かれるままに浜へ出よう。

                                       了
荒涼館〈1〉 (ちくま文庫)

荒涼館〈1〉 (ちくま文庫)

  • 作者: チャールズ ディケンズ
  • 出版社/メーカー: 筑摩書房
  • 発売日: 1989/02
  • メディア: 文庫



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鳴海宿の月子   氏家 秀 [小説 戯曲 三島由紀夫 Balzac Kafka]

 夏が近くなると滝の水公園も何かと話題になる。丘陵から全方位を見渡せる夜景のひとつひとつに、さほど生活臭のない年頃の男女の揺れる想い、そして夜空の雷光を見んがために集うバイク少年たちの焦燥、そういった感慨が重ねられて伝播していくのだろう。女子高生の月子(つきこ)は、公園から住宅街を見渡せる南向きが好きだった。その方向には従兄妹の明利(めいり)が「円盤がここを目指して飛んできそうだね」と言った鉄柱のモニュメントがある。宵闇の覚束なさが芝生上にじわじわと氾濫してきて、街灯りがくにゃっとなった四脚にちらちらと反射する夕刻、河の流れ込みと上げ潮が攪拌された匂いの風が強まって、彼方の海上から冷やりとした金属片が飛来する想像は爽快だった。
「宇宙人がいるとしてさ、あたしたちの味方?それとも狸の味方するのかな?」
 月子はそう問いかけてボールをふわりと蹴った。明利は左足甲で受けてから胸まで二度リフティングしてから蹴り返した。
「宇宙人は、人間寄りなのは嫌いだろうから、狸の味方するんじゃない」
 滝の水公園に出没する狸も話題になっていた。棲みやすい木立や薮が繁茂しているわけではないが、行楽の食べ残しや餌付けまがいの残飯撒きをあてにして、あるいは腐敗物を埋め立てての造成ゆえのガスの臭いや蚯蚓に惹かれて、など勝手な憶測と違わない様々な出没理由が飛び交っていた。
「宇宙人は人間が嫌いってこと?」と蹴り返して聞くなり月子はおかっぱの短髪を揺らして項垂れた。
「そうか、そうだよね、宇宙人が人間を好きだったら姿を見せているもんねぇ?」
「それかもしくは、もともと宇宙人なんていないってこと」
「やっぱり寂しいね、人間は」そう言って月子は返ってきたボールを沈めるように止めた。
「こんなに綺麗な夜景を見ながら、人間は人間に話しかけるしかないんだよね。そうか、だから円盤にのってやってくるのは宇宙の人、宇宙人っていうことで…人の格好をしているかどうか、円盤にのって来るかどうかも分からないのにねぇ?」
「だから宇宙人なんて…インステップでふかさず蹴ってみて」
 明利はほとんど回転しない重いボールを胸で受け止めた。痙攣しているようなボールを掴んで熱い息を吐いた。そして月子の実力を検めきったように何度も頷いて、住宅の灯りが増してきた南から西の鳴海の方へ目を移した。向い風に藍染のスカーフに束ねられた黒髪が緩やかに弄られて、母譲りの金色の瞳はどこか潤んでいた。
「人間の一番の友達は、電気なのかもしれないね」
「電気?そうだね、人間は電気なしじゃ生きていけないよね」
「あたし達なしでも平気みたいだけれどね」明利はもうひとつの鉄柱モニュメントの時計を指さして疲れたように微笑んだ。
「あたし達の愛らしさ、あたし達のずるさ、あたし達のしなやかさ、そんなものがなくても、大抵の人間は電気があれば生きていけるみたい」
「そうか、そこまで分かっていて」と言いかけながら月子は走りよっていってボールを受け取った。
「明利ちゃんはフィレンツェ仕込みでこんなに美人なのに、あの狸みたいな日本人と結婚しちゃうんだ。大人って大変?大変みたいね。結局、食べさしてくれる人間に寄りそって生きていくしかないのかな」
「狸みたいって」と言って苦笑しながら明利はシャツの胸元を掃った。
「狸と一緒にしないで。あたし達と同じく清潔で、あたし達と同じく時として豹変する、いたって優雅でちょっと甘えん坊な人よ」
 月子が当てられたように鼻下を伸ばそうとすると、亀の甲羅と呼ばれる中央敷石に登頂しきったばかりのような男子二人が現われた。骨太そうで大柄な制服を抱えた痘痕頬なのがサッカー部の淳市、華奢で小柄な制服をそこそこに着込んでいる剃刀のような一重涼目が馬術部の昭二、という幼馴染みにして鳴海高校の同級生である。月子はいつものように睥睨するような目つきになって二人を手招いた。
「あたしと明利ちゃんはもう帰るので、後のことはよろしゅう頼むね」
「ほんな殺生な」と淳市は夜空に鳴き上げるように言った。
「部活が終わってなぁん(何)も食わんで飛んで来たのに」
「市はそういうことを平気で言う男やったのね。明利ちゃんを一目見れるだけでいい、と言ったくせに情けぇへん男。あのね、明利ちゃんは8時には新幹線に乗らなきゃなれへんの」
「ほんな殺生な」と淳市は口ぐせを繰りかえしながらもシャツの汗を気にしている。
「今度はいつ鳴海にいらっしゃるんや?」
「この次の鳴海はないかもしれぇへんよ」と言って月子は明利の微笑みの前に立った。
「よお考えてよ、明利ちゃんは二十八歳の立派な大人の女、市はじゃが芋みてえな顔をした高校生、分かった?」
「殺生な…結婚されるというのは本当やか?」と淳市は意気消沈しかけたが月子の持つボールを見て反応した。
「そういえば、なでしこジャパンに知り合いの選手がおるって本当やか?」
「本当よ」と言って明利は後から月子の両肩に手をかけた。
「浦和レッズレディースの浮田摩魅(うきた・まみ)は知っているでしょう?U‐21で有名になったもんね、そんなに可愛くないけれど、狸みたいなスタミナがあるからね。でもね、そのうち彼女とマッチアップして彼女からボールを奪ってしまう才能が、ここにちゃんといる」
 月子は浮田の名前を耳にした瞬間に腕が鳥肌立って、彼女とボールをはさんで対峙する想像に耳をほんのり赤らめた。
「この月子よ、名古屋FCレディースの真ん中をやっている眼の前の加藤月子よ。伊賀九ノ一が欲しがっているあたしの従兄妹」
 月子の小さく傾げた恥じらいに淳市の目尻はゆるゆると穏やかになっていった。そして一言も発していなかった昭二が、咳払いをした後で淳市の背中を軽く叩いた。
「間に合わなくなりますから行ってください。あとは月子から聞いていますので、僕と淳市に任せてください」

 鳴海を宿場町として栄えさせた東海道一号線、その一号線から鳴海の高架駅の下を抜けて橋を渡ったところに曹洞宗の瑞泉寺がある。開山はまだ周辺を根古屋と言っていた十五世紀初頭なのだが、徳川の時代の吉宗が亡くなった頃に完成した本瓦葺の山門は優美である。有形文化財になっているその山門前の石段で、昭二は自分の両手を嗅いでは舌打ちをしていた。昼間の凛とした乗馬姿の昭二しか知らない人が見れば些か幻滅したことだろう。昭二は月子が帰ってくるのを待っていた。
 月子は昭二が待ち伏せているのを察知していた。脚力と球捌きばかりが目立ってしまう月子だが、人には言えない感覚、特に想像力と寛容さに乏しい人間には了解し難い能力がある。駅を出て扇川沿いに歩いてくると、何やら焦げて馴染みやすい誘うような匂いがしてきた。鰻屋からだろうと思って微笑んだ。さらに界隈を知るいつもの帰り道にしては、大気が揺籃と苛立っているような気がした。寺の前のスーパーが閉じようとする時刻なので、従業員と遅い買い物客の疲労が波及しているのだろう。しかし月子の耳は寺の方へ向いた。爪先から逆走ってくる感触は、今し方見送ってきた明利に初めて会ったときと同じだった。山門の下に何かがいる。月子は居眠っているような昭二を見つけた。
「お早いお帰りやこと、お坊ちゃま。たぬき蕎麦が出るのはもっと遅くなってからだと思うけれど」
 ゆらりと立った昭二は月子の方を見ないで内ポケットを探りはじめた。二人の距離は傍目にも若々しい逢引には見えなかった。
「狸のカウントと糞拾い、市にだけやらせて自分は知らんぷり、っていうこと?」
「淳市はもう帰っているよ」と言って昭二はA4紙を開きながら渡した。
「と言うか、淳市は帰らせた」
 月子は受け取った紙から早朝の根付いたばかりの芝生の匂いを感じた。
「暗くてもツッキィなら見えるだろう。そこは僕の祖父さんの故郷で、韓国のちょうど真ん中くらいにある堤川(チェチョン)、堤防の堤に川って書く所で、後ろの湖みたいなのは有名な貯水池らしい」
 月子は整備された麗らかな水際の写真と昭二の冷やかな横顔を見比べた。集中して見ると左下の水辺にある黄毛は動物らしい。逆光で撮ったせいか輪郭が白く滲んで見えた。
「そこに写っているのは伯母さんだよ。前から金色の狸の噂があったところに、足の傷がなかなか治らないので、人の治療を頼って観光地へ出てきたところを撮られたんだ。今は治療が済んで山奥へ戻っているようだ」
「昭ちゃんも金色なの?」
「僕は…きつね色だよ」と言って昭二は爛々とした月子の眼光を受けとめることにした。「笑ってくれないんだね。昨日までだったら、気取った顔しちゃってさ、狸の色は狐よりも濃い目の味噌煮込みの味噌みてえな色にきまっておるやろ、とか言うところなんだろうな。いつ気づいた?」
「入学してすぐに馬に乗るっていうから…」月子は写真を返しながら自分が口篭ることに驚いた。
「その…昭ちゃんは犬でも何でも動物嫌いだとばかり思っていたから、頭が変になりよったのかな、と思って、みんなと中京競馬場に見に行ったら…昭ちゃんが話していた、馬と。みんなは、何あれ嫌らしい、ドラマか映画でああいう場面あったよね、どこまで気取っておるのかしら、なんて言っていたけれど…あたしは分った、昭ちゃんが本当に馬と話しておるのが分かった」
 昭二は写真をゆっくり握りこんでいって、遣りきれぬふうに眼を閉じて細い顎を上げて旋回させた。
「そこまで分かっていながら、あんなことをやらせるなんて…従兄妹が山形や皇居で調査していて、ついでにツッキィのいる鳴海の近くの公園に出てくる狸も調べてくれって?頭数を数えて糞を拾ってくれって?自分はサッカーで忙しいから、ちょうどいい阿呆が二人おるからやらせてみるって?淳市は、大きい方はずっとツッキィに惚れこんでいるし、もう片方の小さいのも、何でも言うことをきくはずやって?」
「もうやめな、聞きたくない」
「そいつは在日だから苛められっ子で…そもそも母親が工廠で働かされた在日の娘で…たしかに、いつも苛められているところを助けてくれたのは、加藤さんのところの男勝りのツッキィやった」
 昭二が震えながら言いきった瞬間、制服の背中が鈎針を走らせたように稲妻に裂けた。
「昭ちゃんのほんな言い方は聞きたくない…」と言って月子は爪をかけたまま彼の背にすがった。
「ほんな昭ちゃんは嫌や…昭ちゃんは何があっても、キムチ臭いって言われても、安貞桓(アン・ジョンファン)に似ておるって頭をいじられても、昭ちゃんは我慢していたじゃない…」
 昭二は振り返って彼女の泣き濡れた眼を見たかった。そして凭れかかる身の軽さと絶妙な甘やかさ、それは想像していた以上に世界を麻痺させるものだと実感していた。
「昭ちゃんは犬みてえにじゃれつかないから格好いいんだよ。昭ちゃんは猫みてえに泣き言をみゃあみゃあ言っちゃ駄目なの。それに待ち伏せておいてさ、自分の言いたいことばっかり言ってさ。そっちの系統だって知っていたら、滝の水になんか行ってもらっていないよ」
「今、知ったのか?」と昭二が言うなり背中の猫額が頷いた。「それじゃあ、中京の馬場で見た馬と話している僕は?」
「昭ちゃんは昔から髪の毛がちょびっと赤いから、バランの系統かと思ったんや」
「バラン?何やろう、バランって」
「何やろう、って今言ったよ。バランは…言っておるはずだよ。ここのところうるせえ女になりよったと思って無視していたやろ?」
 月子は言うなり彼の胸元へまわって制服のボタンへ指をかけた。ひとつ、二つめを外したところで、彼の猛烈な握力が両肩を押えたので弾くように後退った。
「ほんなことしたら痛いよ」
「こんなところで…脱がせるなよ」
「あちゃ、何を勘違いしておるんやろう。明日はこんなの着て学校行ったらあかんやろ。代わりの持ってるよね?」
 昭二は手の置き場がなくなって自分でボタンを外すしかなかった。
「考えていることが、やっぱり雄なのね、何の系統にしろ」
「バランって…何のバランなんだ」
「バランは東山動物園のオランウータン。すっごい爺さんのオランウータンだよ。だって馬に乗るっていったら、やっぱり猿の仲間しかいないやろ。昭ちゃんもいっぺんは見ておるはずだよ」
 月子は脱いだ制服を奪うようにして抱えて軽く鼻先をあてた。
「わっ、狸くさ~い。直してもらったらクリーニングに出しておくね。大丈夫、お母ちゃんはちゃんとした霊長目やから今晩中に直しちゃうよ」
 昭二はいつのまにか楽しんでいるような彼女を見て大人びた苦笑をした。そして言い残す言葉が見つからないまま男っぽく歩き出した。
「バスがもうないから、電車だよね?引っ掻いたお詫びに送っていくよ、駅まで」
 二人は堪らん鰻風を正面に受けながら城跡の方へとぼとぼ歩いていった。
「ひとつ聞いていい?なにもかも打ち明けたっていうことは、鳴海からいなくなっちゃうの?」
「堤川は母さんの先祖の土地だから、金色の伯母さんに母さんを会わせてあげたいだけだよ」
「なんか…心配でさ、この前、市から変なことを聞かされちゃって。昭ちゃんがね、新栄の韓国料理店のお姉さんとつきあっておるんじゃないか、とか」
「よく行くよ、あそこには…母さんがやっておる店を見に行ってもおかしくないだろう」
 月子は自分に納得を言い聞かせるように頷いた。そしてついでとばかり鋭利な爪を彼の右腕に立てた。
「もうひとつ聞いていい?ポンポコリンの一族でも浮田摩魅は有名なの?」
「なでしこのポンポコリンか…ああ、サッカーのことは知らないけど、名前がマミだから猯(まみ)としては有名になっちゃったよなぁ」
「マミって狸なんでしょう?」
「マミは魔魅で…だから摩魅は猯だ。たしかに相当な猯らしくて、明利さんが言っていた皇居の調査グループにも、ちゃっかり紛れ込んでおって、糞の水洗いとかも何食わぬ顔でやっていたらしいから…相当な猯だ。しかし関東の方の話なので…」
「関東の方の何なの?」
「母さんがちらっと聞いてきたところでは、えぃ~と…オサキ、そうだオサキ」
 月子は反り返るようにして立ち止まった。
「オサキ…九尾の狐の子孫、オサキギツネ(尾先狐)でしょ…」
「そう、そのオサキじゃないか、って言うのも一族の中にはいて…まぁ、会ってみないことには分らないな」
「本当にオサキだったら…きっと美人だよね」
「だから会ってみなくちゃ分らないって…ただ、サッカーは滅茶苦茶うまいらしいな」
 月子は己の特異で優美な血統など忘れて胸を熱くした。
「そうか…それは燃えるね、サッカー選手として…女としても」
 昭二は腕に加わった爪の痛みから逃れながら首を傾げた。
「そう張り切らんと、とりあえず人間の女のように、もっとかんこ~して(よく考えて)からにせいよ」
「ほぅらでた、かんこ~してって、やっぱり昭ちゃんは狢(ムジナ)とか猯やない、立派な尾張の狸、鳴海宿の金タヌキじゃ」
「それだったら、月から魔力をもらっているツッキィは、やっぱり金を盗りあう敵同士ってわけだ」
 月子は反射的に立ち止まって朧な満月を仰いだ。
「敵同士って…それじゃ人間そのままだよ、残酷な人間そのまま…あたしはね、ボールを蹴るのが楽しくてしかたない、鳴海宿の油舐め、それだけだよ」

                                       了
美しい星 (新潮文庫)

美しい星 (新潮文庫)

  • 作者: 三島 由紀夫
  • 出版社/メーカー: 新潮社
  • 発売日: 2003/09
  • メディア: 文庫



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軋み桁   氏家 秀 [小説 戯曲 三島由紀夫 Balzac Kafka]

 天正九年、中秋の夕暮れのことである。
 その頃は、錦川を見下ろす吉川家でも、畿内を制しようとしている信長の噂でもちきりであった。
 吉川元春は岩倉の羽柴秀吉としばらく対峙した後、不快な胸中を下げ持ったまま帰還した。それが名にしおう羽柴との戦のやりきれなさだとは自らも覚っていた。そして堅固な山城から城下の夕餉の煙の群れを見る。元春は思った。仮に明朝、対岸の川原で飯を炊く煙が羽柴の軍勢のものだとしたら…。
 錦川は山上の一滴から潮に注がれるまでに時を要せず、若武者のような清流としての素直な顔と、暴れ川としての無礼な顔を合わせ持っている。ゆえに斎藤家のような橋守と言っても橋そのものを守れるわけもなく、大水の後の橋普請奉行として威勢を見せるほかは、日がな橋の両袂で通行の番をしながら世間話に興ずるしかなかった。
 夕暮れもせまり稜線が黒々としてきた頃、嫡男の斎藤寅之助は、殿様に随行した息子の土産話を抱えてきた丑(ちゅう)から、延々と羽柴秀吉の話を聞き出していた。
「猿大将の大将?」
 寅之助はつい大声で橋桁の下に向かって聞き返した。
「そうじゃ、猿大将の大将、言うてみれば猿回しじゃな」
 小網を仕掛け終わった百姓の丑が桁の下から応じた。
「その猿大将を操る猿回しが…あの…」
「織田信長じゃろうが」
「知っとるわい、その猿回しの織田信長は…たいそう細面のいい男なんじゃろう?」
 丑は闇の中で卑屈に笑ってから言った。
「たいそういい男…殿様の耳に入ってみい、打ち首じゃ」
 寅之助は舌打ちをしながら山上の岩塊のような城を見上げるのだった。
 一時の橋普請奉行の斎藤家にしても、足軽組頭ほども禄を食んでいるわけではない。めったに戦の場に出たこともないので、名将はむろん老将の一人の脇腹でも刺しぬいた足軽の方が恩賞の与りは間違いない。しかし寅之助には、戦に駆り出してくれと愁訴する意地もなかった。
 丑は痛めた腰を庇いながらやっと橋上に上がってから呟いた。
「なんにしても…殿様は負けなさるだろうよ」
 寅之助は耳を疑って返す音を発せられなかった。
「息子の言うには、猿大将はわしらと同じ百姓の出よって、戦の場になりそうなあたりの百姓に声をかけおり、なんと幾らかの銭まで施されるそうな」
「百姓を味方につけるのか?」
 丑は寅之助から離れて嘲るように大笑してから一気にまくしたてた。
「百姓なんぞ味方につけてどうするんじゃ?土地のかたち、川の在りよう、そして倅のような盗っ人ふぜいがどこにいるのかとか、そこらへんを聞き出して、まともな戦はそっちのけじゃ。そしてじゃ、わしらの殿様は毛利の若様にして槍を取らせたら安芸一ときてなさる。猿大将は面が猿に似ていても、歳格好は寅之助様と似たりよったりじゃ。そしてじゃ、わしらの殿様はこのわしよりも五つも歳をとっていなさる…」
 たしかに岩倉の陣で吉川の殿様が、猿大将の小柄を見て笑われたという噂もあてにならない。元春公も若かりし折りは毛利一の槍取りと言われた強者だったが、父元就公が逝去されて後は目に見えて老け込まれてしまっていて、血気盛んな猿大将に一騎打ちを挑まれる、などと誰も戯れ言は語れない。
「帰れ。それ以上言うてみろ、殿様に代わって…」
 寅之助は分けの分からぬ義憤に駆られて脇差に手をかけた。
 丑は一歩一歩後退りしていった。一足ごとに老け込んでいって、闇の奥に消えいくようだった。橋の中途で丸太の節組みに躓いて立ち止まる。一昨年の大水の後でやっと成った橋の上で丑は怒鳴った。
「斎藤の親父様に宜しくな!殿様がな、親父様をそこに居させて、寅之助様のような青瓜男を戦の場にかりだすようになったらな、寅之助様は逃げればいいんじゃ!戦になんぞ行ったらいかんぞ!」
 丑は右手を臍のあたりまで上げたかと思うと、踵をかえして薄暗がりの川原の烏の溜まり場へ走り去っていった。
「百姓が…分かったようなことを…」
 百姓の丑の言うことだ。しかも猿大将を見たという丑の息子にしても、土仕事が身につかない野盗まがいの日々を送っている奴だった。
「青瓜男だとぬかしおって…」
 寅之助は自分でも可笑しくなって腹を抱えた。しばらく梟のように低く笑うと、もはや暗いばかりの川面と目が合った。丑は仕掛けた小網をどうするのだろう。ちょうど火をつけなければならぬほど更けてきたので桁の下へ降りた。
「この音じゃ…」
 櫂がだすような音だった。一昨年に成ったばかりの橋桁の一本がもう軋みはじめているのだ。風が吹き過ぎて波がくると心地よく鳴っていた。
 寅之助は火打石を握ったまま呟いた。
「戦には…わしは行かん」
 何度も石を合わせ打っては何度も吐くように言い続けた。
「殿様でも、猿大将でも、なんでもよいわ!橋桁はわしのもんじゃ!わしのもんじゃ!」
 その後、寅之助が娶って嫡男が生まれた翌年の大水まで、丑が桁の下の小網を引き上げにくることはなかった。

                                       了
笛吹川 (講談社文芸文庫)

笛吹川 (講談社文芸文庫)

  • 作者: 深沢 七郎
  • 出版社/メーカー: 講談社
  • 発売日: 2011/05/11
  • メディア: 文庫



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ワーニャ   Vladimir Sue [小説 戯曲 三島由紀夫 Balzac Kafka]

 校長の孫であるワーニャが、ベラルーシ貴族の末裔らしくない縮れた黒髪を、同僚のボリスにふれさせた日曜の午後だった。
「レオってあのエヴェンキ族の?」
「チェリャビンスクが生んだ大作家かもよ」
「象牙掘りの父親が行方不明で、ブルトーザーを操る母親に女手ひとつで育てられりゃ、まともな考え方はしないだろうな」
 ワーニャはボリスの手から逃れてドアの前に立った。隣のマヤコフスカヤ女史の気配などはなかった。ワーニャにとって、他の女教師や女生徒にとっても、ボリスは美男で颯爽としている存在だ。しかし時として醒めた皮肉っぽい言い方をした。
「面白いの、鉄道と革命と…カルトン・スープの三つがあれば、立派なロシア文学として中国や日本では享けるけれど、アメリカやキューバでは退屈で投げ出されるよ、なんて言うのよ」
「嫌な子供だね」
「ロシア語で書かれるものも、これからは面白いものでなくてはならない、と言って教師のあたしを睨みつけるの」
 ボリスは鉄棒で逆上がりもできない少年レオを思い出して項垂れた。そして気を取り直すべく勢いよく立って言った。
「ヴォトカは?」
 ワーニャは窓辺に逃れるようにして言った。
「もうないわ」
 窓から見る七月のチェリャビンスクの裏通りは眩しかった。朝方まで降っていた雨はあちらこちらに水たまりをのこしている。羽虫たちは鏡のような水面に忙しく蟠っている。そして呼応するように霞草の小さな白い花弁の群れが風に揺れる。校庭側へも蔓延っている霞草は校長にとっては厄介物だが、優しいロシア語をさがして窓辺に立ったワーニャには、初雪が察過したときのように美しく見えた。
「なんてやつらだ、学校のそばであんなことをしている」
 ボリスはいつのまにかガス焜炉がある隅の小窓から見下ろしていた。
 裏通りの真下の日陰で、精悍に日焼けした痩せぎすの若い女が煙草を踏み消した。息をきらせて間に合ったようなもう一人は、ワーニャも何度か見たことがあるカザフスタンから来た小太りの中年女性だった。若い女は不満そうに蜥蜴のハンドバッグから数枚のルーブル紙幣を取り出して渡した。中年女性は小さな手でゆっくり数えた後で、一枚のドル紙幣を投げつけるように握らせた。
 ボリスは項垂れて言った。
「レオに教えてやることさ、バレエのようなロシア文学は終わったのだと」
 ワーニャは首を振った。そして多くのロシア人女性のように諦めることを知らなかった。
「いいえ、レオの面白い文学はあの闇取り引きからはじまるの」
 ボリスは自分の二の腕を抑えて語気を強めた。
「トルストイとチャイコフスキーじゃ食っていけないから革命が起きたのだろう?」
「革命はレーニンの兄が処刑されたから起きたのよ」
「そんな悪態をつく教師がいるか?それじゃ校長室に今だ飾ってあるマルクスがそもそも悪いわけだ」
 ワーニャは縁を叩いて言った。
「マルクスは悪くないわ」
 ボリスはせせら笑った。
「マルクスの夢想にレーニンの理想がついていけなかった、とか言い古されたことは言わないでくれよ」
 ワーニャはボリスの言葉にひどく落胆した。
 斬新の欠片もない倦怠をもよおす話し方は、ボリスをはじめとするチェリャビンスクの若い教師に多い、と常々思っていた。焦躁が噴出しそうなほど誠実な彼ら…彼らは校長の孫娘の男友達がモスクワに群れをなしていると信じているふしがあった。
「酔ったの?」
「いいや、もう一本ほしいよ」
 ワーニャはボリスに近づいて頬に触れた。ざらつき渇いてばかりいる灰白色の肌の男。校長である祖父や教頭である父と何ら変わらぬロシアの男がそこにいた。日中はお定まりに権利と義務を次世代に押しつける。夜になっても権利、ほどなく義務だ。教師でなければ、血塗れないし灯油塗れの手をした連中は日中は寡黙、もしくは隠れてヴォトカだ。夜になればセックスや儲け話の前に何はともあれヴォトカだ。透明なアルコールの一杯が自制の象徴と勘違いしている人たち。
 ワーニャは頬から離した右手を差し出して言った。
「あたしは金がかかる女よ。それでも構わないんだったら脱ぐわ、隣の恐いおばさんもいないようだし」
 ボリスの喉が鳴った。
「結婚はすべてではない」
「あたしは金がかかると言っているのよ」
 ワーニャは赤樫の釦をはずしながら確信した。
 ロシア語が今後千年の向こう文学を続けるには熱くならなければならない。エロティックで消費しまくる新しい時代…教師、宇宙飛行士、そして老婆殺しは知るだろう、平坦な胸の女とルーブル紙幣が乱舞する千年を。
 ボリスは後退りながら唸るように言った。
「どうして普通の我々じゃいけないんだ?質素で、健康で、ちょっとだけヴォトカを飲む、そういう我々じゃいけないのか?」
 ワーニャは釦をはずし終わって言った。
「なんて貧相なロシア語なの」
 そして薄っぺらな胸を両手で持ち上げて、寒々しい樺色の乳首を一つ二つ中指で弾いてから言った。
「ロシアの長い長い冬は終わるわ。チェリャビンスクも熱くなるわ」

                                       了
マトリョーナの家 (新潮文庫 赤 132F)

マトリョーナの家 (新潮文庫 赤 132F)

  • 作者: アレクサンドル・ソルジェニーツィン
  • 出版社/メーカー: 新潮社
  • 発売日: 1973/12
  • メディア: 文庫



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喜鵲的意見   氏家 秀 [小説 戯曲 三島由紀夫 Balzac Kafka]

 改札を抜けると張候啓(チャン・シャオシェン)らしい青年が待っているはずだった。「らしい」という曖昧な表現は、初の顔合わせゆえ致し方ない。支社が違うとはいえ、同じ商社の同じ事業部傘下なのだから、顔写真の一枚でも互いの携帯電話に送れなかった訳でもない。どうも端から疑心暗鬼な接触は、軽快に事を運ばせなかったようである。
 そんな一彰の不快も、駅前に開けた日生港の迎えるような渚ぶりに、朗々とどこかへ発散していくようだった。水また水の海原の囁きが聞こえる。左の土産物屋に「小豆島行きフェリーのりば」の看板が見える。折りも折、この場の色は波の紺青と白雲に極まると言わんばかりに、瀬戸内観光汽船の第三ひなせ丸が到着したところだった。日生で会おうとはよく言ってくれたものだ、と気分が爽快へ転じて一彰は苦笑せざるをえなかった。
 妻と娘にPicaピーカと呼ばれている一彰も三十三歳になっていた。総合商社オクト・ワグネルの水理事業部、堺にある日本支社へ転勤してきて八か月が過ぎていた。しかし帰国した感慨はあまりない。
 一彰は音楽家である義父に母共々つき従って、多感な時期をリンツとウィーンで過ごした。そして在学中からウィーンで務めはじめて、今もリンツに妻子を置いてきている。仕事熱心という以上に、上下水道の整備開発には天命のような啓示を感じてきた。それは柳川の水路に親しんだ少年時代からのものだった。異邦にあってもドナウの水流に目を細めていれば、柳川の布袋葵と自慢の大島紬を着て倉敷の堀端で微笑んでいる母の姿が、陽の変容に沿って流れていくのだった。
 堺へ転勤してから半年、ドイツ語のメールを妻ニネッタへ送りながら、日本での些かの慌ただしさにも慣れてきた実感のあるピーカだった。
 杭州の中国支社に勤務する候啓(こうけい)こと張候啓から、不意に連絡をもらったのはそんな春先だった。日本語にきちんと変換したのか、元来の流暢な日本語をそのまま送ってきたのか、いずれにせよ一彰をして幻惑な眼差しを窓辺へ向けさせた。

一〇年三月×日
 水理事業部 日本支社  野村一彰様
 私は同水理事業部の中国支社に勤務いたします張候啓と申します。社内間の電子郵件とはいえ、突然の不躾な郵件を平にご容赦ください。事業部における野村先輩のご活躍はかねてからお聞きしていました。昨年から日本支社へご栄転されてご多忙とは存じあげながら、日本語を専攻して日頃から日本支社と接している私としましては、早速にご挨拶申し上げて、是非ともご面識を持っていただける機会を願っておりました。そして唐突を重ねる無礼な中国人社員の後輩を許して頂けるのなら、私が三月に出張した倉敷での仕事について、何卒ご教示ご鞭撻いただきたく存じます。先輩が長年取り組まれていらっしゃる排水用の浸漬型膜分離装置は……
 
 一読して慇懃な文面の中に小気味良い中国人の後輩を想像させられた。
「電子郵件か…片仮名を知らんのか、それとも…」
 しかし次に候啓から受信した郵件ならぬメールを悠長に開封して仰天してしまった。

一〇年四月×日
 ……先輩は備前出身の小松原亜紀、という女性をご記憶でしょうか。彼女は一昨年まで倉敷にある作陽大学、音楽学科、打楽器専修に席を置いていて、現在は日生中学校の音楽教師の職にあります。私が亜紀さんと面識を持ちましたのは、倉敷のホテルで行われたK社環境事業部主催の浙江省との懇親パーティのときです。私が社名と水理事業部を口にした途端に、彼女は『そこのウィーンの野村さんという三十くらいの人を知っています。インターナショナルな仕事も大変ですね。たしか下水屋さんですよね。でも野村さんは、下水と関係なく、マオリ族のジョージに親身につきあっていて、いい人だなと思いました』と懐かしそうに先輩のことを語りだしたので、私は中国的に正しい使い方の、青天の霹靂を感じました。私は彼女と先輩のご関係を詳しく伺おうと思いました。彼女曰く『話しても理解してもらえないと思います』と断言しました。そこで私は、私が中国人だから理解できないと思っているのですか、と正面から問いました。彼女曰く『すでに亡くなっているマオリ族の青年の霊と、すでに亡くなっている日本人の少女の霊、この二つの霊を結婚させようという話をどう思いますか』と問い返してきました。私が驚いて即答できずにいると、彼女にっこり曰く『今言ったことは忘れてください』と美しい長い髪をかきあげました。私は思わず彼女の白い腕に手をかけてしまって、中国人も霊魂のことは大事に思っていて、子供のころから黄大仙廟に参拝に行って……
 
 商社マンの堅実そうなメールは、気がつくと恋する香港青年のばたばたした郵件になっていた。確かにインターナショナルな仕事は大変だが、恋と冒険を勝手に身近に感じ取れることは否めない。とどのつまり同僚後輩である張候啓は、どうやら教師になったらしい小松原亜紀と出張先で遭遇して恋に落ちたようだ。そして仕事はさて置いて、先輩一彰に是非とも助力を賜りたく会ってほしい主旨である。それほど暇ではないという普段の感覚から断りの返信を送ろうとした。しかし一彰の半生において、人助けや難儀に関わることになるときには、必ずといってよいほど母一人子一人の倉敷の母が、まさしく字義どおり神妙な啓示とも警告とも取れる電話をしてくるのだった。
「…天津神社の可愛い猫みたいな寅、その寅年の虎が枕元に立ったのよ。天津神社っちゅうんは、備前焼を並べた参道のさきぃあって…そねぃなことより、その虎が凄いことを言うてきて『人種や民族や宗派を越えて、一心博愛を受け入れてくださるとお聞きしまして、なんとぞ、未来の大中国の柱となる人材を助けとっただきたい』っちゅうことなのよ。なんじゃけど、倉敷に来とる中国人らしいけれど、お母さんはお父さんの関東ツアーに同行せんとならんし……」
 ともあれ一彰は日生へ向かうことにした。山村の福建人を両親に持つという張候啓。車中にあっては純情そうな中国人の顔を想っていた。そして日生港を前に何度も辺りを見まわしてみると、四か国語に通じている香港人らしい算術顔の候啓が想像されて、揺籃するような頭を振って嘆息を吐くしかなかった。
「すぅみぃませ~ん、野村さ~ん、すみません、ここです」
 第三ひなせ丸のタラップで羽ばたくように手を振っている男の声だった。いわゆる人の良さそうな艶々した南人顔のぽっちゃり青年。呼応するように微笑んでしまったが、こちらの顔を調べて知っていたのなら、自分の顔写真くらい送ってきて然るべきだろう。しかも駅改札で待ち合わせようと言った本人が、夏の行楽を告げるようなフェリーから颯爽とお出ましときた。一彰はフェリーに向いていた踵を止めて頬を強張らせた。
「すみません、張候啓です。三年目の社員です。申し訳ありませんでした。言い訳になりますが、昨夜寝ていなかったものですから、船の中で眠ってしまって…」
 ひしゃげた薄い眉に汗を溜めていかにも済まなそうには見える。やはり想像していたとおり背は自分の肩ほどしかなかったので、一彰は鳳凰が威嚇する心地で彼の頭越しにフェリーを指差した。
「あれに乗ってどこへ行ってきたのか知らないが、駅で出迎えると言ったのは君の方だろう。同じ事業部でメールもやり取りしているから気楽な気持ちで来たからいいけれど…まあ、顧客相手には的確に応対していると信じているよ」
 候啓はジャスミン臭を湧き上げるように反り返って敬礼した。
「やめなさい、軍隊じゃないんだから。そうか、何かチームスポーツをやっていたんだな」
「はい、香港のサッカーチーム上環海驢隊では10番をつけていました」
「10番っていうのはエースナンバーだろ、そんなスポーツマンで、もてそうな君がどうして小松原さんのような…」
「もてません。いまだ独身です」
「それはともかく…小松原さんも、もう今は立派な教師になったのだろうけれど…ちょっと変わっている、つまりエキセントリックな女性だろう?」
 候啓は頷きかけながら奥二重の眼を泳がせて横っ腹を叩いた。
「食事はまだですよね。私も昨夜から小豆島で何も食べていないものですから、はい、とても空腹です」
「ゆうべから小豆島?それでフェリーからご登場となったわけか…何をしていたんだ?」
「昨日、中学校の休日出勤していた教師から得た情報なのですが、一昨日の金曜日に背の高い大きな男の人が亜紀さんを訪ねてきたそうです。それで、昨日は朝から二人で小豆島へ渡ると言っていた、という言葉を聞いて…気がついたら自分もあのフェリーに乗って小豆島へ向かっていました。あとは闇の雲ですか?ブラインドリィにアット・ランダムに行方を捜しました」
「驚いたね、なかなかの恋する熱血商社マンだ。そこまで彼女を好きになってしまったわけだな」
「好きです、食べることを忘れるほど。ところで野村先輩は、穴子のひつまぶし、お好きですか?大きなボウルに入ってきて美味しいですよ」
「ひつまぶしぃ?お好きっていうほどじゃないけれど、子供の頃に柳川で鰻のそういったのは食べたけれど…なるほど、へたな日本人よりも日本に詳しければ、日本のちょっと変わった女でも惚れてしまうわけだ」
 候啓はまた頷きかけながら一彰の手荷物を持とうとした。
「大丈夫、自分で持つよ」と言ってから一彰は候啓の肩に軽く手を置いた。「見る目がある、っていう日本語は当然知っているだろうが、無責任なまま、あえて言うよ。君は見る目がある。彼女は少々変わっているが、確かに素晴らしい女性だ」

 候啓は洗面器ほどもある朱塗りの丸櫃から三杯目をよそう手を止めた。
「先輩もお母さんと同じその…ユタ?霊媒師なのですか?」
「俺?」と一彰もかきこむ箸を止めて煎茶へ手を伸ばした。「俺はそのための修行もしてないから、本来は余計なことを口外できない、他人には言えない立場なんだ。ただ…その血は受け継いでいるらしくて、状況によっては、常人には見えない変なものが見える」
「変なものが見える、って今も何か見えるのですか?」
「状況によってはと言っただろ。匂いみたいなもので、例えばだな、君は自分では体から出るジャスミン茶の匂いが分からないだろうが、俺とか他の日本人が、なんか味噌くさいとは思わなかった?」
「正直に言いますと」そう言いながら候啓は首を傾げて微笑んだ。「味噌くさいは分かりませんが、男性の日本人は醤(ジャン)に紹興酒を混ぜたような匂いがします。私の感覚です」
「君の感覚で構わない、それが大事なんだ、なんて偉そうなことを言うと、人は奄美のユタ、巫女の息子らしいと勝手に思ったりするからな。ともかく、匂いそのものではないが、霊を感じる体質を持った者同士で、対話というか交感がはじまって、極度に集中力が高まったときに視覚化が起きる、と俺は解釈している」
「なるほど、私の父と似ていますね」そう言って候啓はがつがつと飯をかきこんで低く唸った。「私の父は今年で六十六歳ですが、早くから母と家族と香港に渡っていたので、文化大革命に遭わずに、配管の仕事をして生活してきました」
「配管って水道の配管?そうか、君もやっぱり水を背負わされてきたんだな」
「水を背負わされてきた?」
「つまり、こういう言い方がそもそもユタっぽいのかもしれないが、君がやがて水の仕事をするように、お父さんの代から運命づけられていた、っていうのか」
「そうです、私の父は蝦蛄です」と言ってから候啓は老人のように胸元を連打して食を下げた。「静かに食べましょう…私の父は前世では、おそらく蝦蛄だったのです」
「いきなり蝦蛄か…蝦蛄って、あの海老と蟷螂(カマキリ)が合体したような蝦蛄だよね」「ええ、その蝦蛄です。香港に来たばかりの頃らしいのですが、母のお腹に私がいたので、栄養をつけさせようと蝦蛄を捕りに行きました。そして網で捕った蝦蛄の中の一匹が、金メッキしたような金ぴかぴかの蝦蛄だったのです」
「金の蝦蛄か…香港らしいな」
「その金の蝦蛄が父に言ったそうです、地下を掘って、清い水を通すことが、おまえの仕事だと。驚きましたか?」
「日本人も金好きだから、金の蝦蛄くらいじゃ驚かないよ。できれば、縁起もので食べてみたいものだ」
「蝦蛄はお好きですか?亜紀さんは茹でた小蝦蛄が大好きだとか…」
 一彰は茶碗を空にして沢庵を口に放り込んでから、箸をこれ見よがしに仰々しく置いた。
「俺の話に戻るとだな、そのようなことで、昼間だから声を小さくするけれど、母の予言に乗っかるような格好で、倉敷に度々来ていたクライストチャーチのジョージをたった一日お手伝いしただけなんだ。何しろ放っておいたら、色黒のマオリの大男が、市内の看護士や女子大生を追いかけまわしている、というふうにしか傍目には見えないからね。そしてジョージに詳しく聞いてみると、亡くなったマオリ族の青年は四人、彼らを慰める日本人女性も四人必要だということになって、このうちの一人の名前がアキ。それで当たりをつけられた一人が、小松原さんだったわけだ」
「驚きました…」
「驚くのはまだ早い。小松原さんに会ってからだったな、話が急展開していって、ジョージもご納得の方向に収まった」
「ジョージもご納得?」
「最終的にはだね、カトリック倉敷教会に眠っている大正時代に生まれてすぐに亡くなった『あき』さん、この方の霊に祈りを捧げることで勘弁してもらった」
「勘弁してもらった?」
「仕方ないだろう、俺が母のような本物のユタならともかく。それに小松原さんともう一人の女子大生の手助けがなかったら…ジョージも俺も精神鑑定を受ける破目になっていただろう」
「なるほど、残りをいただきます」そう言って候啓は丸櫃を抱えて茶碗へばらばらと移した。「先輩は、そのジョージと小松原さんの間が、男と女として、どこまで進展したかご存知でしょうか?」
「ご存知じゃないよ、まったく。教会で名前を確認した翌日、二人で饂飩と団子を食べたとか、俺が出発する日の朝にジョージが嬉しそうにそう言っていた」
 候啓は最後の一膳に向かおうと箸を摘んでから幾らか重たげな息をもらした。
「先輩の奥様はオーストリア人ですよね」
「またいきなりだな。そう、彼女はカトリックだからさ、母がユタだと言ったら、魔女みたいなものと勘違いしてびっくりしていたよ。妻は慌て者で信心深くて、プリッツェルが好きな、おデブちゃんだよ」
「私が日本人を好きになるなんて」候啓は茶碗を置いてふらふらと薬味の葱を含んだ。「父が何と言うか…ブラックプールから香港に来ていた雀斑(チェバン)いっぱいの女の子、彼女が私の初恋でした。父は、そんな私を見ていたせいか、私が中国人以外で結婚するのならブリティッシュかカナディアンでなければ駄目だ、と言っていました」
 一彰は些か呆れ顔で甘夏柑の一切れを咥えた。
「俺の母は、俺が中学生のときに、おまえと結婚する女性はマーラーの曲が好きな人だ、と言った。巫女の血をひく母の言うことならと思って、日本人なのかどうか聞いてみた。すると、人種は分からないが、マーラーの曲を静かに聴ける環境の人だろう、とか言っていた。ほかでもない、母が若いときから文通していたヴァイオリニスト、それが今の父なのだけれど、母は父からマーラーだ、巨人だ、マーラーだと言われ続けてきて、ついに夢に見るほど、夢に聴くほどマーラーの曲を聴きこんでいたんだ」
「マーラーはたしかウィーンの作曲家ですよね」
「そうらしいが、妻は日本のアニメの主題歌が好きで、マーラーの曲はまともに聴いたことがない。つまり何を言いたいかというと、母の存在は妻や娘の存在と同等の価値が確かにある、がしかし、母の考えていること、そして母の言ったことは、妻や娘の言ったことと同等に俺を拘束する、俺の身動きをとれなくするものではない、ということだ」
 候啓は頷きながら箸を置いて甘夏柑を摘んだ。そして口に入れると思いきや茶碗の上でぷちぷちと千切りはじめた。
「少なくとも父親っていう種族は、そういうことは分かっているのだと思う」そう言って一彰は反り返って両腕を組んだ。「それにしても、あの小松原亜紀に惚れてしまったのか…大学の食堂だったなぁ。俺とジョージが会ったときは、随分とボーイッシュな印象だったけれど、君のメールには髪が長いとか書いてあったな?」
「ええ、肩よりも長くて、内側にくるくるっと巻き込んだような」
「やれやれ彼女も大人びてしまったのかなぁ。あのときは髪を結い上げて、目が爛々とした肉食獣の雌、っていう感じだったなぁ」
「分かります」
「そうか、分かるか。だいたい、人間の本質は三、四年で変わるものじゃない、と俺は思う。特に話し方、最初に俺とジョージに向かってね、岡山弁で格好よく啖呵をきったのさ」
「岡山弁で…タンカ?俳句?」
「そっちの短歌じゃなくて啖呵、歯切れのいいシャープな言い方で、あれはたしか『言うておくけれど、田舎の娘だと思って馬鹿にしたら、ただではおかね~よ』とかね、あと『岡山の女は、けっこうしっかりしとるのよ。情にあちぃ分だけ、裏切られたら鬼退治までやらんと気がすまね~よ』なんてね。あの娘が中学校の音楽の先生か…君には標準語でしか話さなかったと思うけれど」
 候啓は頬を紅潮させて首を横に振った。そして蜜柑の黄皮まで飯の上に千切って箸でぐいぐい押しつけた。
「私も亜紀さんのシャープな言い方に痺れました」言うなり候啓は蜜柑入りの飯をざっくりと口へかきこんだ。「お姐さん、お茶ください!そもそもですね…倉敷でのK社と浙江省のパーティに何故、亜紀さんが来ていたのか」
「そりゃそうだな、中学の先生がアルバイトしていたわけじゃないだろう」
「会社には報告していませんが、先輩にはお話します。実は同席したK社役員が、中学生の孫にヴァイオリンを無理矢理に弾かせようとしたのです。女の子でしたが、私が見ていても、不安そうで嫌がっているのが分かりました。それでも演奏させようとしたとき、横の扉がばーんと開いて、黒いジャージを着て、スニーカーを履いた亜紀さんが走りこんできました」
 一彰はやっと目を丸くして、驚いた表情のまま笑みをつくった。
「凄いな、本当かい?白髪千条の中国的脚色じゃないのかい?」
「本当です。先輩の変なものが見える話、それよりは現実的に聞こえると思いますけれど」
「ご免、冗談だよ。それで彼女はシャープにまた言ったわけだな」
「はい、たしか…」候啓は茶碗を空にして記憶を搾り出した。「なっにょ~しとるのじゃろうか?彼女は嫌がっとるじゃろう。どうして分からんのじゃろうか。あんたの見栄張りで、お孫さんが嫌な思いをしとるのじゃ…という感じで」
 一彰は自分の旺盛な想像力を嘲りながらも、相変わらずの痛快さに何度も頷くしかなかった。
「気がつくと、私の悪い癖ですが、気がつくと」と言いかけて候啓は注ぎ足された煎茶を熱がって啜った。「亜紀さんを追いかけていました。彼女は泣いている中学生と一緒に広間を出て行きましたが、私がすぐに思ったのは、ホテルの人とかK社の社員とかから、亜紀さんと中学生、彼女たちを守らなければならない、ということでした」
「そうこなくっちゃ、男は」
「そして、二人をタクシーに乗せてから思いました、日本語をしっかり勉強していてよかったと」
 一彰は仄かに目尻を充血させて、候啓の頬から語りの興奮がひいていくのを満足そうに見ていた。
「こうも役者が揃っているなら」微笑みながら一彰は胸ポケットから手帳を取り出して何かを確認した。「この俺は何のためにのこのこ堺からやって来たのか。そうだろう?そういう状況で始まった恋は蟻一匹紛れ込む隙がないってことさ。女と酒は劇的であるに越したことはない」
「女と酒は劇的であるに…李白ですか?シェイクスピア?」
「いいや、昔々、ウィーンの空港で、今の父が迎えに来てくれた晩に、未成年の俺にビールを飲ませて偉そうに言っていた言葉さ。舞台に役者が揃ったら、その劇から逃げるのは許されない、とかね…」
 候啓の先輩に対する真摯な眼差しが痛いほど強硬だった。
「張候啓、あとは中国の蝦蛄らしく掘り進んでいけばいいじゃないか。君が通した水をぶっかけてやれ」
 候啓は微熱に戸惑うような目つきで何か言おうとしたが、一彰はやんわりと遮った。
「君が懸念しているのはジョージのことだろうけれど、彼に関して間違いなく言えることがある。これを最初に話すべきだったのだろうが、ジョージ・マンガは日本時間の昨日の夕刻までクライストチャーチにいた。さっき言っていた学校に彼女を訪ねてきた大男、一緒に小豆島へ渡ったその男がマオリだったか聞いたかい?小麦色の肌でカメハメハ大王みたいだったと言っていた?ともかく、ジョージは今日も地球の反対側にいる。電話で話したのだから間違いない」

 鹿久居島は茫洋と日本人について考えるには格好の島嶼だろう。野生とはいえ、鹿の人懐こさほどは安芸の宮島にもある。縄文体験ができる集落施設もさほど目新しいものではない。しかし凪いだ波形の重ね重ねは、綿毛を舞わせるタンポポの群落を想像させて、秘めやかにエロスへ向かう原動力を思考させる。見え隠れする播磨灘の先に何があろうと、この海ならば死を賭すに値すると確信していたことだろう。
 亜紀は肌が泡立つような気がして、思わずジャージの膝を抱えた。あまりにも静謐な小磯で、珍しく音楽を忘れている自分がいる。それはまるで男のように音楽という恋声をひと時打っ遣って、島から島へ欲望を向かわせた、先祖の艘群の幻を見たかのように、かつてない鳥肌を立てる瞬間だった。
「亜紀ちゃん、誰かのことでも考えていたの?」
 綾香が頃合いのように、足場も覚束ないまま静寂を破ってきた。他に人気はないとはいえ声高々に悠長な綾香らしい。小太りな身を、貫頭衣という弥生風の白装束で包んでいた。
「伝染したのかな、照夫さんから」と言って亜紀は岩から立ち上がって、近づく綾香に手をかそうとした。「昔の人たちはさ、太陽と海がこんなふうに優しかったら…」
「優しかったら?」
「…誰かの子供を産んでさ、育てて…歳をとったら、さっさと姥捨て山へ行っちゃったのかな?それかもしくは、雨風が酷くて漁に出れなかったら、栗とか芋とかを海へ撒いてさ、神様に捧げてさ…何日も風が静まるまで祈っていた、なんてね」
「なるほど、そうきたのね。でも、それは照夫さんの影響じゃないよ」そう言いながら綾香は亜紀の節くれ立った手を求めてきた。「亜紀ちゃんはずっと見ているけれど、時々どきっとするようなこと言ってさ、けっこう詩人だもんね。本当はさ、倉敷にいたときみたいに、ティンパニーを叩きながら詠いたいんじゃないの?」
「そうだったねぇ、文化祭とかでは、よく叱られたね。そんなアヴァンギャルドなことやっていると教師になれんぞ、って散々に言われてさ」
「学生だったからね…でも、理解してくれていた人もいたでしょうが」
「理解してくれた人か…そういえばジョージは、ちょっと不思議なジョージっていうマオリ族の人は、ヒネモアが舞うときの歌に似ていて懐かしい、って言ってくれてさ」
「ジョージ?…ま、不思議なジョージもいいけれど」と言って綾香は脂質そうなぽっちゃり右肘で亜紀の脇腹を突いた。「中国からまたやってきた張さんはどうするの?倉敷の仕事の後処理とか言って来ているけれど…あれはね、亜紀ちゃんのためだったら、商社をやめて日本に来ちゃってさ、牡蠣の養殖でも何でもやる覚悟だね」
「会わせるんじゃなかった、綾香にだけは」亜紀は言いながらがっしりと綾香の腕を掴んで微笑んだ。「張さんも張さんよね、よりによって、ご縁を見通せることで、作陽じゃ有名だった綾香さま、ご本人がいらっしゃる時に来ちゃってさ」
「情熱家っていうか、しつこい男は駄目なの?」
「しつこい男だとは、思っていないよ」
「でしょうね、亜紀ちゃんの性格って、やっぱり遠くから飛んでくる頑張りやさんは好きなんじゃないの?」
「そりゃあ…あたしだって女だから」そこまで言いかけて亜紀は掴んでいた腕を口許へ引き寄せた。「でもさ、女の人もそうだけれど、ましてや男の人は、仕事とか目的とか夢とか簡単には放り出せないでしょ。あたしは放り出してほしくない」
「へえ~、なんかいい女になったねぇ。あたしが東京から倉敷にきたときには、外でこつこつ稼いできて、好きなだけ妻の自分にバンドをやらせてくれる男だけ、とか言っていた男の子と間違われた亜紀ちゃんがね」
 亜紀はふっと笑いを呑みこんで綾香の腕に前歯を立てた。
「食べちゃうよ、縄文人に食べられる前に。だいたいさ、人のご縁を見通せる本人はどうなのよ、照夫さんのこと」
「いたっ、痛いよ。縄文人を亜紀ちゃんみたいな石器人と一緒にしないでよ」そう言いながら綾香は咬ませるままに竪穴住居の方を望んだ。「それに何度も言わせないで、照夫さんとあたしは、男女の間柄なんてありえない親族なんだから」
 二人の話に上っている東條照夫、その照夫も柔道家のように貫頭衣を着ていたが、長髪と無精髭を風に靡かせて悠長に三畳敷きほどの小浜へ下るところだった。
 照夫は函館出身で、母と祖母が続けている産婦人科に年に二度ほど帰省するほかは、市町村の教育委員会等の伝手で、縄文遺跡の発掘に勤しんでいるような男だった。大学の考古学研究室に属しているわけでもなく、野心的に仮説を披瀝する様子も論文の発表もなかったが、発掘作業における誠実な手際と一九〇を越える大柄どおりの鷹揚さをかわれていた。
 竹中綾香は同じく北海道の襟裳の出身だった。今でも襟裳に一人住む綾香の母親は、国会対策委員長を務めたこともある故竹中宗二の長女である。就学する頃には、母娘共々、襟裳を去って東京の国立で生活をしてきたが、竹中の支援にあって竹中の囲柵に辟易していた綾香は、逃れるように倉敷の大学へ単身で進学した。そして山陽道に降り立った少々訳ありのお嬢さまは、打楽器に夢中な小松原亜紀という猫眼の気丈な子と出遭ったのだった。
「わざわざ会いにきてもらっただけで充分」と言って綾香は歯型も見えなくなった弾むような腕を大きく振った。「なんでもね、函館を築いた高田屋嘉兵衛が、淡路の出身で前から関心があったとか、犬島貝塚が評判になっているとか、それらしい理由でわざわざお越しいただいてさ。でも昨日はびっくりしたよね、いきなり小豆島に着いたら、犬島の貝塚にはどうやって行くのか、とか言いだしてさ。真面目で研究熱心なのはいいけれど、朝から晩まで縄文漬けで…そんな地面掘りが好きな人に、おそらく函館の彼のお母さん、亡くなったお祖父ちゃんの後妻だった人だけれど、あの綺麗な女医のお母さんが、瀬戸内の島で、音楽の先生やっているらしい綾香を見てきな、とか言ったんじゃないかな」
 亜紀は眉間に寄せていた皺を掃うように額を振って、そのまま綾香の肩にのせた。
「そうか…あたしは子供の頃から変な子って言われていたけど、根っ子はさ、水島のコンビナートに勤める普通のサラリーマンの娘だもんね。だけど綾香は、一見普通の東京から来た女の子だけど、縄文人とか国会議員とか、何だかちょっと複雑な家庭が背後にあるんだぁ。あたしってさ、馬鹿だから、最初からシンプルな人生が設定されているのかな」
 綾香は照夫に向けて手を振ったまま思わず噴出し笑ってしまった。
「見なさいよ、照夫さんたら、あたしがげらげら笑っているもんだから変な顔しちゃって。亜紀ちゃんはやっぱり詩人だよ。海を見れば海の人の営みを想って、あたしのような一人っ子を見れば、一人っ子にも色んなタイプがいることに感動している」
「そんな…詩人に申しわけないよ」
「大丈夫だよ、人間ってさ、思うほどシンプルに生きられないような気がするよ。だってさ、シンプルに生きようと思ったって、突如現われたる謎の…」
「中国人?また張さんのところへ話が行っちゃうのか。どうせ…あのときさ、パーティの席上に怒鳴りこんで行った新米の教師が、ちょっと可哀そうに見えただけだよ」
「それで充分じゃない、何だかちょっと複雑が始まるには」そこまで言いかけて綾香はふらふらと立ち上がろうとした。「何だろう?監視塔の方から誰か照夫さんを呼んでいる…もう食事の時間なのかな?」
「まさか、ちょっと早すぎるよ」と言って亜紀は脇から支えるように立ち上がった。「飯だ、飯だって、綾香の方がお似合いじゃないの、謎の中国人は。きっと腹いっぱい好きな蝦蛄の天ぷらとか丼を食わしてくれると思うよ」
「それはいいね、蝦蛄丼はいいよね…」
 綾香は唇に人差し指をおいて、聞いている耳を浜の照夫の方に向けていた。照夫は膝をぽんと叩いて浜から磯へ駆け上がる。そしてこちらへ向かって何事か怒鳴りだした。しかし綾香と亜紀の怪訝な目つきから、自分の声が届いていないことを察したようである。照夫は寡黙な大柄からは想像できない身軽さを見せた。
「小松原さん、小松原さんにお客さん!野村さんという方が、小松原さんを訪ねていらしているようだよ」やっと土鈴のようなと綾香が例えた照夫の声がとどいた。「オクト・ワグネルって…ドイツの外資系商社らしいけれど」
「知っています、野村さんもオクトも…野村さんが一人で?」
「そう、野村さんという方お一人でいらしているけれど…」
 亜紀は磯を上がる綾香の尻を押しながら「野村さんが一人で」を呟き続けた。そして小磯のさほどでもない段丘に、なぜか息苦しさを覚えだすのだった。竪穴住居の方から挨拶ともつかない鳥鳴きに似た声が聞こえた。磯を上ってきた綾香の手を取る照夫は、無骨な縄文人そのもののようだった。そして肩の張りきった照夫の背後に、汗ばんだシャツをはだけた野村が蜃気楼のように現われて、磯から上がってきた亜紀を見つけて困憊したように微笑んだ。
「なるほど、倉敷で会ったときからすれば、備前の女としてますます磨きがかかって、随分と魅力的になっている。これだったら、候啓、張が参ってしまったのも無理はない」
「その張さんは?」と亜紀は弄られる髪を押さえながら聞いた。
「その張はフェリーに乗り込もうとする寸前に、倉敷のK社から連絡をもらってタクシーに乗り込んでしまった。まずいことに、接待されて来ていた浙江省のお偉方が倒れてしまったようだ。そこで…僕は夜までに帰ればいいし、小松原さんを知らないわけじゃないし、そもそも張の身元保証人みたいなことで来たわけだから、ここへ渡ってひと目会って、挨拶できればと思ったんだ。中学校の音楽の先生になったとか…」
「張さんはあたし宛てに何か言ってましたか?」
「ああ、食いしん坊の香港人らしく、日本の蝦蛄は小さくて少なくて値段が高いので、仕事上の情報力と分析力を使って、この辺りから笠岡の方までの海域の水質を調べはじめたらしい。このことを、とりあえず伝えてください、また連絡します、と言っていた」
「水質…とりあえずですか…」

 例年どおり、五月末に一年生による牡蠣の種付けを無事終えると、夏を迎える漁協の市場周りは、朝な夕なに劇場の哀愁を見せてくれる。ふらりと立ち寄った旅人の足許、そこに野良猫が近寄ってくれば、堪らなく人恋しくなるだろう。五味の市の朴訥な佇まいは、白昼は沖の豊饒を夢見ているのか、満腹の海驢が日に向いて居眠りしているようだ。それにしても市場は人のためにあり、牡蠣祭りなどで隣の駐車場から夥しい客が押し寄せるときは、絵画に通じている皮肉屋ならブリューゲル風の騒乱の構図を連想してみてもよい。汀の市場はあまりにも愛しい。綾香による腫れ物に触れるような弾き方のサティが、波止場から這ってくるような気がする。亜紀は吹けなくともトランペットの音を出したくなった。教師でなくとも新しいメロディを口ずさみたくなる場所だった。
「あたし、思っているよりも若いのかな…」
 亜紀はかつて純白だった自転車をとめてそう呟いた。乗り続けてきて斑点傷だらけゆえに、フレームは骨化石のようだった。しかし自転車の汚れよりも気になるのは、前のバスケットで揺らし続けてきた紙袋のソフトクリームである。牡蠣フライを飾ったクリーム、それを買ったときの痒い悪戯心が沸々と冷めないで頬の上にいた。
 五味の市の正面を「チョコのカテドラル」と言ったのは候啓だった。即答すればよいというものではない。しかし彼の素直な想像力が、彼の誠実な行動力と直結していることが分かってくれば、単なるカテドラルと渋い顔で言われるよりは、チョコのそれは随分と博愛な響きをもってくるのだった。当の候啓は、カテドラルの入口脇で頭を掻きながら携帯電話でメールを送っているところだった。シャツは二日目か三日目のようだったが、ネクタイはどうやら水玉好きである。忙しい身分のわりには、いつのまにかネクタイが増える一方なので油断がならない。亜紀は自転車を押して近づくにつれて、自分がジャージからジーンズに穿き替えてきたことを、なぜか浮調に気恥ずかしく思えてくるのだった。
「これって香港で売れると思う?」
 候啓は牡蠣ソフトを突きつけられると、慌てて携帯を閉じながら虫食いを隠した梨のような微笑を差し出した。
「香港よりも上海でしょうね。上海だったら売れそうな気がします」
「食べてから言ってみて」
 候啓は大きなアルミ鞄の上に座り直して、牡蠣フライを摘んで口に押しこんだ。
「クリームが、冷たいホワイト・ソースみたいで、美味しいと思います」
「美味しいっていう顔には見えないんだけれど」
「美味しいです。美味しいのは、美味しいとしか言えません。それに…」
「わかった、美味しければいいわよ」
「…さきほど組合の指導員の方からいろいろと聞きました。小蝦蛄は松の犠牲になったのかもしれません」
 亜紀は甘い香りの吐息を宙に舞わせながらアルミ鞄の端に腰を落とした。
「どういうこと?」
「小蝦蛄が減った原因のひとつとして、松を枯らす松食い虫の被害がひどい年に、大量の薬剤を空中散布したらしいのです。その薬剤が海底に沈殿して小蝦蛄を死なせてしまったのではないか…」
「どうしてさ、張さんは蝦蛄をコジャコ、小蝦蛄って言うの?」
 候啓は鞄の端にずれて亜紀の横顔を窺いながらもう片方の牡蠣フライを咥えた。
「ここで捕られているサイズの蝦蛄は、香港では小蝦蛄なのです」
「あっそう、香港のは唐黍くらい大きいって言っていたもんね」
「小さい蝦蛄は味わいがある、ご飯によく合う、ということは分かりました。しかし、もう呼び戻すことは不可能かもしれません」
「なぁんだ、もうおえんか。ジャッキー・チェンのようにしぶといのかと思った」
「おえん?」
「終わりか、ってこと」
「終わりって…」候啓は方言の意味を自ずと悟ってコーンをぱりぱり噛みしだいた。「いいですか、松食い虫の次には、海苔の養殖の犠牲になったのです。海苔を養殖するときに、海苔が茶色にならないで黒くなるように、やっぱり海苔の網に薬品を散布したのです。これも毒です。こういった毒は海水よりも比重が大きいから海の底に沈殿してしまって…」
「わかった、分かりました」そう言いながら亜紀もコーンに達して噛みしだきはじめた。「これでも備前に生まれていて、一応、教師の端くれだから、そのへんの裏事情は嫌でも耳にしているわよ」
 候啓は指を舐めながら上空を仰いで、カテドラルの壁に背をゆっくりとあずけた。眩しいばかりの天蓋から目を反らすと、亜紀がやはり眩しそうに自分を見ていた。彼女は食べきった手を掃ってから、小さく唸って壁にもたれた。
「ちょっとだけ、こちらの言葉で言っていい?うちは確かに蝦蛄は好きじゃけど、蝦蛄のほかに枝豆も好きで、せぃにお酒も大好きなのよ。つまり、どこにでもいる田舎の女なのよ。あなたのように何ヶ国語も話せんし、音楽の教師にだってやっとなれた、そうゆ~つまらん女なのよ。じゃけん、あなたの先輩の野村さんのような、仕事先でのラヴロマンスなんか期待されても困るのよ。せぃにあなたは立派な商社マンで、野村さんが見つけたマオリ族のジョージとか、綾香を訊ねて来た縄文人の照夫さんとか、ああゆぅ夢を見とるようなもんたぁちごぅとるじゃろう?世界中に水を供給して下水の処理に走り回らなくちゃならんじゃろう?さっきは、もうおえんか、なんて言ったけれど、あなたはおえん商社マンじゃねぃ。あなたは中国の未来を背負って立てる人だと野村さんが…」
「野村さんが、先輩が『君は見る目がある。彼女は少々変わっているが、確かに素晴らしい女性だ』と言ってくれたのです」
「もう、野村さんは、自分が結婚しておって子供がおるから勝手なこと言うて…だいたい商社マンのくせに、霊魂が見えるとか、見えんとか…」
 気がつくと駐車場の方からじゃれつくような騒々しさが転がってくる。亜紀がブラスバンドを指導しているうちの四人の女子だ。恥じらいながらも仔犬のような嬌声をあげているのは後ろ二人の一年生で、前の見慣れた三年生元リーダーと二年生新リーダーの二人は、博物館を巡ってきて珍奇に遭遇したような顔をしていた。
「シャコ先生かぃ?」と元リーダーが呟くように言った。
 亜紀は心なしか候啓の肩へ傾いで隠れるような仕種をした。
「揃いも揃って、どうしたん?」
「まさか、シャコ先生、恋人ってゆ~こたぁねぃじゃろう?」と新リーダーが自分の頬を赤らめて言った。
「こら、こっちのゆ~ことに答えなさいよ」
「シャコ先生に、ネクタイをしめた恋人なんて、嘘じゃろう」
「こねぃなところで、うちをからかうなんて、なかなかええ根性しとるね」
 亜紀は紙袋を丸めて投げつける真似をしたが、教師としての視線は背後を取っている候啓に恐る恐る戻された。
「うちの生徒で…ブラスバンドの少女ABCDなの」
「シャコ先生ぇ?」言うなり候啓は立ち上がろうとした。「君たち、先生に対して…どうして彼女がシャコ先生なのだ?」
 亜紀は彼の膝にすがって押さえようとしたが、思いのほか頑健な手が女の細い手首を掴んだ。
「シャコ先生は、シャコ先生です」と言って新リーダーは一歩進み出た。
「こんなにきれいな先生をシャコ先生とは…」
「邪魔してわるいけれど、キレイはキレイかもしれんけれど…」とそこまで新リーダーは言いかけて、後ろの一年生を突き出すようにして発言させた。
「そうじゃのぅ、えーと、指揮をするときの振り方がカマキリみたいじゃけん、最初はカマキリにしょぉと思ったのじゃけど、蝦蛄丼とか天ぷらが大好きだってゆ~し、なんと言うても、怒って指揮棒で叩くときは、やっぱりシャコじゃ」
 亜紀が立ち上がって候啓の手を振りほどこうとすると、四人の少女たちは豚舎が火事になったような声を響かせて散っていった。腕を振りまわしながら追いかける振りをする亜紀、シャコ先生の笑顔はカテドラルの前を華やかにする。少女たちを追いかける痩せぎすな背中は舞っているようだった。
 候啓は双肩がゆらりと落ちる気がした。野村が言った「女と酒は劇的であるに越したことはない」という言葉が薮蚊のように察過する。これほど幸福そうに見える教師という仕事、彼女は愛し愛されているがゆえに、さらなる情愛の加重を懸念しているのだろうか。しかし亜紀が言った「なぁんだ、もうおえんか」という言葉も飛び交う。そうだ、愛されている女性は、蝦蛄の一匹などが背に付いても「その劇から逃げる」ということはありえない。配管が済んだ直後の父親そっくりに膝を叩いて立った。
「この水も背負ってみせるよ。日本の水ごと、背負ってみせるよ。亜紀さんがシャコ先生なら、俺だって九竜の蝦蛄だ。金ぴかぴかの蝦蛄、金蝦蛄、俺も金蝦蛄だ」
 そう呟いて候啓はアルミ鞄に伸ばした手をとめた。
「いま、俺って言ったような…どうも日本語が変になってきている。場所に縁るのは仕事がら仕方ないが、もしかすると野村先輩と会ってからかな…」
 亜紀は候啓の方に振り返って、心地よく走り疲れたように微笑んだ。そしてシャコとは想えない白鷺のような両腕をさらりと広げた。

                                       了
潮騒 (新潮文庫)

潮騒 (新潮文庫)

  • 作者: 三島 由紀夫
  • 出版社/メーカー: 新潮社
  • 発売日: 2005/10
  • メディア: 文庫



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アルメンタリウス   Jan Lei Sue [小説 戯曲 三島由紀夫 Balzac Kafka]

 西洋人という使い古された言葉よりも、後々にアメリカ大陸へ渡った白い肌の子孫に尚残る残像からすれば、十把一絡げに彼らをも地中海周辺の白人とすれば、この地中海周辺の白人の今日までの正史における決定的な転機とは、ローマ帝国の勃興から約四二〇年間の統治を経て、東西分裂に始まり西ローマの滅亡と東ローマの変遷に至ること、これが大方の史家の一致した見解であろう。そして中華の外縁部で傍観してきた我々にとって、拡大するばかりの帝国の分割化と維持統治の歴史は、今もって実感として持ちえることができない他人事、夢芝居にしか見えない。勝手ついでに言わせてもらえれば、大陸における集合離散と島嶼の家族幻想は、古今東西の政治の力学と文学の薫陶との間の距離と思われているもの、これと同位相なのではなかろうか。それはそれでよい。こちらはできることをやるまでだ。どうせ他人事、どうせ夢芝居ならば、古びた材料ほど水で戻して、あとは煮るなり焼くなり、磨り潰して後は大味に埋没させるなり、やれることをやってみればよい。かの「間違いの喜劇」の作者も鷹揚に頷かれることだろう。


二九九年 中秋

場所
 ローマ帝国の皇帝属州ダルマチア、州都サロナから六・五キロほど海岸へ向かった半島
 の南側の湾にある宮殿建築現場、そこを見下ろす北斜面の帝国軍の幕営

登場人物
 ディオクレス…ローマ帝国のディオクレティアヌス帝、四分割統治の東側正帝
 ガレリウス…ディオクレティアヌス帝に任命された四分割統治の東側副帝
 ウァレリア…ガレリウスの妻、ディオクレスの娘
 ロムラ…ガレリウスの母、個人名を持たない由アルメンタリウスのロムラと称される
 アントニア…ディオクレスの女官にして愛妾、先帝カルスの次女

(上手は他の幕営が群れなす出入り口で、下手は宮殿建築現場を眼下に見下ろす出入り口、よって上手と下手には大柄の衛兵が一人づつ配されている。中央に石灰岩を切り出した祈祷台のようなベッド大の石、その手前上手側に皇帝の椅子、石の下手側に折りたたみ椅子が二脚並ぶ。上手出入り口の傍に、飲みものを入れた瓶やゴブレット、葡萄などを入れたチェスト風の籠がある)
(皇帝ディオクレスは、薄明の石台の上に仰向けになっている。上手からアントニアが陽光の漏れを気にしながら静かに入ってくる。と同時に石台上のディオクレスの顔にも目覚めの光りが射す照明効果、目覚めて寝たまま上手頭部のアントニアの気配に気づく)
ディオクレス 眠っていた…眠っていたのか?
アントニア (瓶から水をゴブレットに注ぎながら)眠っていらっしゃいましたよ、まるで皇帝のように。
ディオクレス (薄ら笑いながら上半身を立てて)気が利いているようで、思いつきの範囲を出ていない言い方は(ゴブレットを受け取って、上に軽く翳して)先の皇帝カルス殿にそっくりだな。
アントニア (石台の上手側、ディオクレスの左背後にまわって)まるでアルメンタリウスのロムラのように眠っていらっしゃった、と言い直しましょうか?
ディオクレス (ゴブレットの水を一息に飲み干して、小さく噴出し笑って)昨晩のロムラか…それも思いつきの範囲を出ていない。いいか、目覚めた皇帝にとって必要な言葉とは…ローマの老いた黒犬のように眠っていた、どうだ?
アントニア あたくしはローマが好きです。そのローマを、年寄と野良犬がはびこる町にしてしまったのは…
ディオクレス (素早く左腕をまわしてアントニアを抱き寄せる)ここにいるイリリクム生まれの親衛隊の長官だ。
(下手出入り口の方が、羊の鳴き声と女の笑い声でにわかに騒々しくなり、衛兵が構えるなりその槍先を払うようにして、小太りのロムラが入ってくる)
ロムラ (わざとらしく左手で顔を覆い、正面を向いて腰をかがめて)失礼しました、陛下。アルメンタリウスが、選りに選った羊四頭をお見せいたしたく参りました。
ディオクレス (石台から降りて、薄ら笑いながら下手出入り口へ向かう)なるほどな、羊飼いのガレリウスには、羊の一頭一頭を見分けるロムラありか…(下手出入り口に立って片手を上げると、羊の鳴きわめきが一斉に止む)まさか、あの四頭の羊の腹の中には、ダキアの牧夫の倅たちが入っているんじゃないだろうな?(そう言って内側へ振り返る)
(一瞬、皇帝と目が合ったロムラは、膝まづいて首をぶるぶると横に振って否定する。その様子を見て、アントニアが噴出し笑い出して、ディオクレスは同調するように笑い出して、営内へ戻り椅子へ座る)
ディオクレス 冗談が通じにくいのもガレリウスにそっくりだ。(背後のアントニアの方へ向いて)だから生真面目で誠実な奴は嫌いじゃない、いや、そもそも軍人としてそれを嫌っていては、生きるも死ぬも何もできないからな。それに奴らは、思いつきの範囲を出ていない言い方などもしない。
アントニア アントニアは、ただの女です。
(ディオクレスは肩透かしを食らったように、苦笑しながらうな垂れる。そして顔あげて座ったまま、俯いたロムラの顔を覗き込むようにして背を屈めていく)
ディオクレス ロムラ、嬉しいか?アルメンタリウスの母親としては、皇帝からこれだけの弁を貰ったのだから…しかし、自慢の子、ガレリウスについて、わしには今もって分からないことがひとつある。
ロムラ (大袈裟に後退って平伏しながら)お許しください、あたくしが叩きながら数え方を教えたのがいけませんでした。
ディオクレス 数え方?ああ、たしかに、兵馬の数も、塔や櫓の数も、奴が一目見れば(額を指して)ここに記憶される。ウァレリアが言っていた、ニコメディアの百眼の岩のようだと。
ロムラ (きょとんと顔を上げて首を傾げる)酒癖は父親譲りで、さほど悪くもないと…肉の食い方でしょうか?
ディオクレス (反って大きく頷き、アントニアに向かって微笑んで)おまえの言うとおり、アルメンタリウスの連中は飄々としていて、時として意外なことを言い出す。ロムラ、(折りたたみ椅子を指差して)ローマ帝国のカエサル(副帝)の母親なのだから、膝と手を白く汚していないで、とりあえず椅子に座ってくれ。ここだ、わしの目の前に座って、話してくれ、奴の肉の食い方について。
ロムラ (腰低く折りたたみ椅子を持ってきて、座る前に唖然と正面を向いて)陛下が仰る、あれの、ガレリウスの今もって分からないこととは、肉の食い方のことだったのでしょうか?
ディオクレス (座るように手を伏せて促して)肉の食い方にも、奴の今もって分からないこと、つまり副帝ガレリウスの独特の性格が見られるはずだ。
ロムラ (恐縮して皇帝と直に向き合えず、正面向きに恐る恐る座って)独特の性格はあたくしが叩きながら育てて…
ディオクレス ロムラ、肉の食い方だ。
ロムラ (消え入りそうな声で)皆さまとさほど変らぬ食い方と…
ディオクレス わしも戦場では気にならなかった、肉などどう食おうと。(脚を組んで、背後のアントニアに向かって籠の方を指して、骨を齧る仕種をする)しかし、残念なことにというか、幸いなことにというか、奴の妻ウァレリアはわしの娘なのだ。(アントニアから乾した骨肉を受け取って)これこれ、これが肉というもので、骨についている肉というものを、ローマ帝国のアウグストゥス(正帝)もこうして(食いちぎってみせる)…食っている。この辺り、サロナの牛もなかなかのもので…さて、話とは、去年、奴がナルセを降して凱旋したとき、酔ったウァレリアがこんなことを言ったのだ。我が夫、ガレリウスは、何の肉にしろ背肉だけを食い、必ず骨から肉を外させる、とな。
ロムラ (皇帝の言葉を復唱しながら、はっと息を呑んで、椅子から転げるように下りて)お許しください、酔っていたのでしょう、ナルセを降伏させたくらいで。
ディオクレス (反ってアントニアに飲みものをくれるよう促して)何を言う、皇帝を産んだ母が。クテシフォンの占領、ペルシャの攻略は、ガレリウスにして完全に成された。
ロムラ (またきょとんと顔を上げて)アルメンタリウスは、家畜を養って食い繋いできた、野越え山越えのダキアの牧夫でしかありません。
ディオクレス (飲みものを一口飲んで)その野越え山越えに、恥知らずのナルセ一世はしてやられたのだ。ロムラ、アルメンタリウスの母よ、わしはガレリウスを咎めているのではない。肉など何の肉であれ、骨を外させようが、舌だけしか食わぬとしても、ローマ帝国のカエサルであるガレリウスの勝手…ただ、わしがそこの宮殿の図面を見ながら、四角く切られた線引きを見ながら思うのは…
ロムラ (消え入りそうな声で)何か…あの子が図面について余計なことを…
ディオクレス (骨肉の残りをゴブレットへ入れて、背後のアントニアの方へ渡す)奴は余計なことを口に出さないし、そもそも建築にはさほど興味がないようだ。
(上手出入り口の方から若い女性たちの笑い声、その笑い声を引きずるようにして、足早にウァレリアが入ってくる。アントニアは慌ててゴブレットを籠の中に落とすが、振り返るウァレリアに膝まづいて伏す)
ウァレリア あなたらしくもないわね、お父さまのお相手で、もう酔っ払っているのかと思えば…そちらで亀のようになっていらっしゃるのは、羊飼いのお母さま…お立ちになって、ガレリウスが、ペルシャを滅ぼしたご子息が、馬を下りてやってくるから。
ロムラ (慌てて下手出入り口の方へ後退して)お母さまだなんて何を仰るかと思えば(ぺこぺことお辞儀して)あたくしは四頭の羊の捌きを見てまいりますので、ペルシャを滅ぼしたご子息によろしくお伝えください。
(ロムラが去った後を見送りながら、ウァレリアとアントニアが顔を見合わせてから同時に噴出し笑う。ディオクレスはそんな二人を交互に見ながらも、何かの思いに捕らわれたように放心した表情)
ウァレリア 聞いた?ペルシャを滅ぼしたご子息によろしくって、自分の息子なのに。ロムラったら、いけない(ちらりと父ディオクレスを窺って)、お母さまったら、いつもあんなに腰を折り曲げるようにして走りまわって、大丈夫なのかしら。
アントニア 昨晩のお話ですと、ロムラさまの十代の頃、少女時代、ダキアでは走らせると男子よりも早かったそうですよ。
ウァレリア 本当?そんなこと言っていたかしら?ああ、そうだ、あたしは途中で隣へ行ってしまったんだ、彼が従兄弟のダイアと硬貨曲げを競うとか言いだしたから。
アントニア (口許を上品に押さえてまた笑い出し)そうそう、皆さまが隣へ行かれてから、硬貨曲げなんぞは男のやることではないなどと
ウァレリア ロムラが?いけない、お母さまが?
アントニア ええ、仰るには、ダキアの男の力比べとは、羊の背骨折りらしいのです。
ウァレリア (興味を持ってアントニアの方へ近寄る)飲みものをちょうだい。それで羊の背骨折りってどういうこと?
アントニア (飲みものをゴブレットへ注いでウァレリアへ渡しながら)羊を背中合わせに背負って…
ウァレリア (飲みものを受け取りながら)背負うって、子羊じゃなくて大人の羊を?
アントニア ええ、背中合わせに背負って…それから、たしか大きい石台の上に…(中央にある石灰岩の石台に手を伸ばして)こういう石台だって…(思考しているディオクレスに恐る恐る話しかける)そう仰っていましたよね?
ウァレリア (ディオクレスの肩に手をおいて)お父さま、大丈夫?
ディオクレス (夢から醒めたように目を瞬かせて)おう、ああ、羊を投げる話か…そう、こういう祭壇にできるような石の上に投げ下ろすらしく…だから、このちょうど手頃な台も、そういった儀式のために作られたんじゃないかな。
ウァレリア (少々怯えるようにゴブレットを口許に付けたまま)でも、投げるって…アントニアは背骨折りって言ったわよね。
ディオクレス (深く息を吐いてから椅子から立って)ロムラが言うには、こういうことらしい。アントニア、空の瓶をくれ。
(ディオクレスはアントニアから空瓶を受け取って、石台の向こう側奥にまわって、いかにも羊を背負うように瓶を右肩にのせて、石台に上がると、羊が抗っている様子らしく肩の瓶を左右に揺らすが、ディオクレスの眼差しは些か真剣)
ウァレリア お父さま、足許に気をつけて…もう分かりましたから下りてください。お父さま、おやめください。
(ディオクレスは前方へ飛び下りるが、着地は瞬時に胡坐をかいて、肩の瓶を垂直に落として石台に残したかたちで、落ちた瓶が割れる音を出す。ウァレリアの悲鳴)
ディオクレス (瓶を放して右肩を押さえ、続いて腰を押さえながら苦笑して)ああ、痛たた…皇帝のやることではないな。
ウァレリア (駆け寄って左肩を支えながら)だからおやめくださいと言ったでしょ…(アントニアは右側にまわるが、瓶の残骸を拾いはじめる)まさか、この羊の背骨折りの真似事を、こんなことを昨晩もおやりになったんじゃ?
ディオクレス (娘の右手を持ったまま椅子に座って)そう怖い顔をするな。やっとらんよ、昨晩も何も…おまえに見せたくて、ガレリウスの真似をしてみただけだ。
ウァレリア (アントニアの方に向かって)まさかロムラが…アルメンタリウスの母がやってみせたんじゃないでしょうね?
ディオクレス 誰もやっていないよ、怒らないでくれ、わしの花、ウァレリウス・ディオクレティアヌスの娘ガレリア・ウァレリア…皇帝の前で羊の背骨折りを実際にやった者はいない。
ウァレリア あたりまえです。
ディオクレス (娘の右手をじっと見ながら)しかし、それを娘のためにわしがやってみせられたのは、親衛隊の長官だったわしの前で、余興として、奴が周りの部下に持ち上げられてやってみせたからだ。
ウァレリア 奴って?ガレリウス?
ディオクレス ああ…あれはやはりダルマチアだったかな、イリュリアの報告をしに奴がきたときだった。わしも、ヌメリアヌスさまの容態が芳しくないということ、そして次の皇帝に自分を軍が推挙していること、これらが飛び交う中で、やはり浮かれていたのだろうな。バッカスにとり憑かれると、ついつい長年考えてきたことが口に出てしまった。
ウァレリア テトラルキア(四分割統治)ね。
ディオクレス (頷きながら満足そうに)そうだ、わしの聡明な花…しかし、わしの案を聞いた連中は、一人の皇帝に、やがて皇帝になるわしに、権力と統治が集中しないことなので、どうも分かったが乗りきれないような顔をしておった。すると、クロルスだったと思うが、すでに大きな雄の羊が用意されていて…分割統治はかくも寛大な皇帝のご配慮、四分割の詳しい中身は神と皇帝のみぞ知る由、我らの分かりやすい脳髄は、かくも寛大な次期皇帝でいらっしゃれば、酒と羊の半分は皇帝へ、残りの半分は我らへと期待しております。さて、大瓶の酒を半分だけ酌み分けることは誰もがしたいことですが、あのような羊を半分にすることができるのは…こちらで笑って飲んでいる、ダキアの牧夫ガレリウスさま。
ウァレリア 彼は…ガレリウスはやったの?
ディオクレス (こっくりと頷いて)奴はまず雄羊を横に倒して、後ろ脚二本を蹴り折って、前脚は脇に抱え込んで折って、まさしくロムラが言ったように、羊を仰向けにして背中合わせに背負って、その台の倍の高さの石の上へゆくっりと上り、あのとおりの幾らか甲高い声で、何か天上に叫んで飛び上がった…骨と石が砕ける音、一瞬の間をもっての連中の歓声…奴はあのとおりの眼で、夢見るような眼でわしを見ておった。
ウァレリア (両腕から両肩を抱えるようにして)その夢見るような眼の男、雄羊の背骨を折る男が、あたしの夫…
ディオクレス (背後のアントニアに向かって片手をあげて)飲みものをくれないか…(ウァレリアへ向かって)誇らしいではないか?
アントニア (瓶を抱えて上手出入り口へ向かいながら)申し訳ありません、飲みものを大至急お持ちいたします。
ディオクレス (頷いてから嘆息をもらし、椅子に肘をついて頬杖する)それにしても、力は分かりやすくてよい。そう、力は分かりやすい。しかし、分かりにくいのは、両手を使って、骨から肉を切り離して、少しずつ口にする者と、片手で肉だけを掴んで、一気に呑みこもうとする者、つまりはこの違い。そう、分かりにくいのは、この一人一人の、世界へ対しての意思の在りよう、世界へ対しての食らいつき方だ。
ウァレリア 世界へ対しての…食らいつき方?
(上手出入り口が騒々しくなって、大瓶を抱えたガレリウスがにこやかに入ってくる。その後ろに、瓶を抱えて恐縮したアントニアがついてくる)
ガレリウス (素早くゴブレットを取って)皇帝陛下、父上、飲みものを持ってまいりました。(ディオクレスにゴブレットを握らせて、大瓶から直接注ぎながら)喉が渇くのは軍議ばかりでなく、お話し上手な父上と(ウァレリアへ微笑んで)花のような妻が傍らにあれば当然のこと、家族とはあり難いものです。
(ウァレリアが気を取り直したように微笑み返そうとした矢先、下手出入り口がまた騒々しくなってくる)
ウァレリア (下手出入り口の方に目を凝らして)カエサル、あなたがいらっしゃると、申し合わせたようにお母さまもいらっしゃったわよ。あなたが仰るように、家族とはあり難いものね。
ガレリウス (瓶から直接一口飲んで、肩をすくめて)お母さま?あれは家族じゃない、どこにでもいる羊飼いの太った母親、あれこそアルメンタリウスだ。
(ロムラが嬉しそうに下手出入り口から入ってくる。胸元には少々羊の血がついていて、右手首に飛んでいた血糊を舐めていて、自分が注目されているのに気づいて目を丸くする。ウァレリアが不自然さを隠さずに笑い出して、アントニアが呼応するように笑い出す。ディオクレスとガレリウスが目を合わせて、しばらく睨み合った後に頷き合う)
ロムラ (恥らうように左手で顔を覆い、正面を向いて腰をかがめて)お楽しみのところへお邪魔しました。(左手首の血糊を舐めてから)アルメンタリウスのロムラ、四頭の羊を捌かせていただき、肉だけの一山をアララットのように盛りました。どうぞ、ご賞味くださいませ。

                                       幕
アルベール・カミュ (1) カリギュラ (ハヤカワ演劇文庫 18)

アルベール・カミュ (1) カリギュラ (ハヤカワ演劇文庫 18)

  • 作者: アルベール・カミュ
  • 出版社/メーカー: 早川書房
  • 発売日: 2008/09/25
  • メディア: 文庫



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獺の戒   氏家 秀 [小説 戯曲 三島由紀夫 Balzac Kafka]

 獺は一字で「かわうそ」と読ませるが、生物としてのニホンカワウソは、ユーラシアカワウソの一亜種または独立種とされて、イタチ科に属するラッコなどの仲間である。この獺を私の故郷では単に「うそ」として地名に残している。獺の戒(うそのいましめ)などと仰々しく題にしたのは、故郷にこだわりだした最近の感覚、これは素直に戒めなのではなかろうかと思いはじめたからである。
 日頃、ふるさと、故郷について、そろそろ打っ棄ってもいいのではないか、と思わせる謹言が二つばかりあった。「ふるさとは遠くにありて思うもの」と「故郷に錦を飾る」である。
 ふるさとが近くでも、あるいはふるさとが現住所でも、それはまったく仕方ないではないか?
 私は都市に生まれ育った人が、地方出身者に向かって「地方にふるさとがある人はいいねぇ」などという言葉を聞いたことはあっても、心底ふるさとが遠隔でなかったことを恨んでいる表情を見たことがない。近くだろうと現住所だろうと、ひとつだけの故郷というものは、ただ「そこにある」式の存在論のように、そこで生まれ育ったのであれば、そこが故郷となるのだ。そして旅先ないし遠隔であれば、抒情に浸るのは勝手なことで、言葉による仕業は致しかたない。
 故郷に錦を飾る、という言葉に恐ろしく鈍感になってしまったのは、誰かの著作によるとすればクッツェーのそれによるのかもしれない。クッツェー?ジョン・マクスウェル・クッツェーは南アフリカの偉大な作家である。そしてジョンの故郷は彼に対して素っ気ない。錦を飾るどころか、赤い砂漠に広がるイエロー・ガザニアを一瞥するように素っ気ない。素っ気ないままに彼を放任している。よって彼は飾る錦などと比較にならない自由を故郷に持っている。故郷とはこうあってほしいものだ。しかし私はジョンの著作を論じるためにそこに戻ってきたのではない。もちろん故郷の素っ気なさを当てにして戻ってきたのでもない。そのまま刹那に吐かしてもらうならば、都市で殺伐なままに鈍感になってしまった私は、性懲りもなく恥辱もさらさら感ぜずに、充分に老いきった母のいる襤褸館、あるいは獺の洞へ戻っただけのことだ。確かに母は素っ気ないのだが。
 私が生まれ育った故郷は、岩国市周東町獺越という山渓である。獺越と書いて「おそごえ」と読ませる。獺は川獺(かわうそ)のことであるから、「うそ」の音が「おそ」に転じたものであろうが、私自身は生まれてこのかた、故郷ではむろん動物園に行った折にも、未だ川獺という動物を見たことがない。ふと、これは困ったことだと思った。
 川獺を見たことがない、あるいは川獺が見れないことに、我々は懸念を持たなければならないのではないか?
 川獺が見れないと聞いて、少なくとも一端の大人のつもりである方々は、寂漠とした視線になって山河を思いやるべきであろう。余裕のない自分のことで精一杯の子供じゃないのだから、聞いたように「そりゃそうだろう、一九七九年以来目撃例がない絶滅種だから」などと軽々しく口にすべきではない。大人は故郷に錦を飾る必要はないが、大人は故郷の鳥獣虫魚の残響に拘るべきである。もちろん次世代のためにである。
 岩国市内からあくまで国道二号線を辿って、錦橋を右に見てから保木川に沿って廿木峠を越えると、やっと岩国市玖珂(くが)地区が見えてくる。よって高速なら玖珂インターで下りれば、あとは島田川の支流東川を北西に遡って、国道二号線や山陽新幹線の下を通って周北の山渓に至る。タクシーであれば「獺越の周北小学校の方へ行って」か「獺越の旭酒造の方へ行って」と告げるのがよい。
 獺越の地名の由来は、市に編入されるはるか以前のこの辺りに、古い獺、つまり狸や狐の変身ように、美女に化けて人をたぶらかしたり、言葉を話して道行く人を呼び止めたりと、そういったことができる老いた川獺がいて、その川獺が子供を化かして村まで追越してきたという言い伝えにある。つまり私の故郷は川獺と共にあったのである。そしてこの歳になってみると、どうしても老母に面と向かって、二つばかり確認しておきたいことがあった。
 若い頃から絶世の美女だったといわれたらしい母、その母の若い頃の写真が一枚も残っていないのは何故か?
 母の息子である私、その私の髪が、ブリーチしたわけでもないのに、ずっと黄色いのは何故か?

                                       了
雨の王ヘンダソン (中公文庫)

雨の王ヘンダソン (中公文庫)

  • 作者: ソール・ベロー
  • 出版社/メーカー: 中央公論社
  • 発売日: 1988/02
  • メディア: 文庫



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シャーマネ   Mye Wagner [小説 戯曲 三島由紀夫 Balzac Kafka]

 Schamane
 そこはベルリンのライヘンベルガー通りの一角としか言えない。もちろん看板も屋号も印も色もあったものじゃない。示し合わせたように曇りがちが濃くなっていくと、亀裂で落書きも意味不明な壁という壁は暗褐色を深めていって、このあたりは旧東ベルリンだったかしらと訝りたくなったものだ。めあての番地の玄関段には猫がいた。純白なはずの背が徘徊の汚れと暗天で灰色がかって見える。猫は気だるそうに私を仰いだ。扉の郵便受けには上段に「舞 MYE・WAGNER」下段に「梁黄 RYAN・HO」とある。私にフロッピーディスクを送ってきたのは舞だった。
 舞は半年前に焦げ茶色の防水紙の小包を航空便で送りつけてきた。
 私は些か不愉快な心持で小包を破り開けた。ディスク一枚と下手な手書きの便箋が入っていた。私に作品を読んでほしい旨、ディスクが悪意あるものではない証として、東洋語学校の日本語教師の推薦文が添付されていて、ディスクにウイルス及びそれに類する危険性はないが、考慮されることは尤もゆえに安全管理下にあるソフトにて開示されること、尚且つ興味を持たれなくて棄却されても当方は了承する…そのようなことが書かれてあった。
 肝心のディスクの中には、日本語による七つのファイルがあった。挨拶文のファイルには「ハンブルガーSVの高原を応援している二十九歳の女性で、父親がドイツ人で母親が日本人」らしいのだが「OCT・WAGNERの大株主で仕方なく役員に就いていますが、普段は日本語を教えたりしながら生活しています」とのことだった。やはり以前に勤めていた商社オクト・ワグネルの筋であった。それはさておき興味を持ったのはほかでもない。いきなりの「わたしは聾唖者です」のくだりを凝視してしまった。原稿を読んでほしいと依頼される柄ではないが、暇と妄想癖につけこまれたのか、続く「わたしが一〇〇ユーロで買った話を一〇〇〇円で、一〇〇〇ユーロで買った話を一〇〇〇〇円で買ってもらえませんか?もちろん、熟読していただいてからのご判断に依ります」という文を何度もなぞるように読んでいた。どうも探偵小説に大いに凝った少年時代の気分、それが暇な前頭葉を安易に小突いてきたのだった。
 この不躾な売り込みとしかとれない一文のファイル、これ以外に六つのファイルがあった。六つの日本語ファイルは、短編というよりも掌編というべき所謂ショートショートだった。それぞれ作者名の代わりに「JLS30」とか「NPS14」などと付してある。「JLS30」を読んでみた。
 パリのオペラ座で踊るアフリカ出身のバレリーナの話なのだが、地方で採取したグリム風の民話あたりを想像していたので、初っ端から仰々しい舞台設定に唖然とさせられる。そして本人による日本語の訳文、そのできすぎた流暢さに舌を巻いて幾度か読み止まっては、もしかすると悪戯好きな友人の狂言なのでは、などと一瞬一瞬疑ってもみて苦笑していた。さらに猫が見知らぬ人から与えられたクラッカーを探るように、疑心暗鬼のままに包みの隅々を辿り探ってみる。最後に挨拶と依頼の文をもう一度、熟読した。
 私にとってドイツはいつも懐かしい国である。オクト・ワグネルは、排水の膜分離や放射性廃棄物の処理、といった特化した技術でアジアにまで進出してきた新興商社である。本社がフランクフルトなので、度々の研修や会議、見本市での集散などを口さがない連中は「ワルキューレ」とか「独逸参り」とか言っていた。そして私は探偵小説の次にはカフカに参っていた青春を披瀝していた。創業者の生誕地シュパィヤーでも、ドイツ語文書の翻訳を依頼していた在独の日本語講師と一晩、酔狂にまかせて文学談義に没頭していた。しかし、あれから六年が経っていた。雑文をものにしている身ではいるが、新世紀の悠長な日の本にあって、言語芸術にはさほど斬新さを期待してはいなかった。小説は女子の感受性にしか兵站を見出せないでいる。詩の層に至る掘削は、誰となく卑屈な響きをもって笑われた。私は南米の辛苦で汗馬な翻訳を抱いて不貞寝していた。そこへベルリンからディスクが送られてきた。たとえ紛らわしいものであろうと、屑拾いに終ろうとも…逡巡した挙句、遠方からの酔狂に乗じて一時遊ぶほどの器量がなくては、などと勝手に自分に言い聞かせていた。
 私は傲慢な頤使(いし)ではないつもりだが、相変わらず慎重であることは否めない。しかし懐かしいドイツからの猫なで声には抗しきれなかった。訪問する旨、舞へ手書きの返事を書くことにした。
 ともあれ残暑から逃れるように、十六度目のメランコリーな地へ降り立った。そしてこの後に及んで躊躇いながら呼鈴を鳴らした。
 猫がわざとらしく寄りかかると同時に扉が開いた。当時ブンデスリーガのハンブルガーSVに所属していた高原を応援している二十九歳の女性、舞・ワグナーは柔道着のような濃紺の作務衣に身を包んで会釈して迎えてくれた。彼女は襟を合わせながら頬を緩ませた。赤毛の髪を短く刈り揃えて、度の強い眼鏡の奥には奥二重の眼差しがある。その瞳は受光によって黄金から虚褐へ変転して神妙なものがあった。そして綴じられた裏白紙の束とサインペンを、恰幅よい懐から取り出して微笑んだ。
 最初に書かれた日本語は「はじめまして」だった。私は挨拶文のあとで「あの猫には名前があるのですか」と書き訊ねた。舞は鳥類の擬音めいた含み笑いをしながら「ネコ」と片仮名を書いた。
 居間から食堂にかけては、さながら日本の小中学校の図書館のようだった。居間の暖炉の両脇の棚は、派手な壁紙のように漫画本によって占められていた。食堂で取り分け目に付くのは、高価な図鑑と段違いで置かれている依羅保(いらぼ)釉の壷だ。舞は自嘲するように「京焼です。京都、奈良そして東京しか行ったことはありません」と素早く書いて片目を瞑ってみせた。そして私は銅カップに入った濃いコーヒーを受け取った。
「すわっていいですか?」
「ごめんなさい。どうぞ、気がねなさらずにどこにでもお座りください」
 私は日本の事務員のような流麗な走り書きに唸ってしまった。
「気がねなさらず、か…とても丁寧な日本語です」
 舞は呼応するように私の乱筆を撫でながら低く唸った。
「ていねいを漢字で書く人を見たのは初めてです」
 ベルリンの静かすぎる灰色の午後、私は単刀直入に書き込んだ。
「なぜ、私宛に送ってきたのですか?」
「平岡先生から指示されました」
 舞は当然のようにそう書き綴ってから手招いた。廊下のように狭まった書庫を隔てた部屋は、スティール棚を連ねた密室そのものだった。奥まったところにアコーディオン式の銀繍の蝶を散らせたカーテン。荒々しく開かれると純白のテーブルと一冊の本が目についた。何気なく覗くとユダヤの経典「ゾハール」だった。舞は側頭を掻きながら勢いよく書きはじめた。
「交霊術はご存知ですか?」
「いいえ、まったく関心がありません」
「申し訳ありませんが、これから私が語る話には交霊術が関係します」
 舞は病弱な母親と伯母の影響で、十三歳のときに初めて交霊術の席に顔を出した。驚愕の感覚を喜ぶべき会話にしたのは、筆記や手話を必要としない直接に脳髄を介した語り合いだった。そして霊界との感受疎通が最も高まっていた二十三歳のとき、極東の日本人の霊が降りてきたという。平岡は東京帝国大学法学部に在学中、学徒動員で徴兵されて南方へ従軍し、負傷兵として台北の病院で亡くなっている。そして平岡はドイツ語に堪能な文学青年で、舞に対してファウストの一節で語りかけてきて、時空を超えた文学談義に始まった関係は、回顧を交えた時評や生活指導にまで及んできているという。今や交霊の会合の煩雑さからは距離を置いて、一匹のネコと一人のリャン、そして昼夜を問わず霊界から語りかけてくる平岡先生と現世の一日一日を楽しんでいる。梁黄、リャン・ホーという半ば失明している華僑の男性との同棲生活も、平岡先生からの御沙汰に従ったことらしいのである。
「平岡先生はいつ頃、亡くなったのですか?」
「一九四五年八月十五日とおっしゃっていられました」
「平岡先生はゲーテが好きだった、いや、お好きなのですか?」
「いいえ、平岡先生がお好きな作家はトーマス・マンです」
 舞はそう書いてからサインペンを落とした。私は一瞬にして呆けたような彼女の視線の先を辿った。音もなく蒼白な青年がカーテンの陰に立っている。小粒なサングラスをした乾いた唇の中国人は、重たげな漆黒のオイルド・セーターから骨ばった手をあげて微笑んで見せた。
 リャンと舞は凄まじい掌上の会話をした。互いの十本の指が二人分の感情を我慢できぬように交差させる。舞は抗うように手を離すとサインペンを取った。
「彼は平岡先生の意思に従って、あなたに伝えたいことがあって帰ってきたのです」
 私は後退るようにリャンを見るしかなかった。サングラスが黒ずんだ火傷痕を剥がすようにはずされた。眠り続けているような硬質な瞼。そして苦々しくにも見える淡い笑みに続いて、掻き寄せられて蹂躙される舞の麺皮のような掌。
「平岡先生が言われたことをそのまま伝えます」
 舞は唸りながら書き飛ばした。
「私は平岡と申します。HОとは巴里で会いました。そのときHОは路上に寝ていました。維納から来て詐欺に遭い一文無しになっていました。私はHОに同情しました。私はHОを伯林へ誘いました。そこは私がかつて憧れた都市であり、私の師、森先生が若き日に学ばれたところです。そしてHОに合歓を会わせました。合歓とはFRAU・WAGNERのことです。合歓に日本語を手ほどきしたのは私です。なにとぞ、ご一読ください」
 私は背に痒いような寒気を覚えて背筋をのばした。すると追い討ちをかけるように、したり顔のネコが膝にのってきた。
 舞はそれこそ猫のように唸って懇願するように書き続けた。
「出版されるか否か、いずれにせよ、合歓とあなたにすべてを任せますが、よろしければ、私には骨入りの鯖缶をいただけたらと思います」

                                       了
砂の女 (新潮文庫)

砂の女 (新潮文庫)

  • 作者: 安部 公房
  • 出版社/メーカー: 新潮社
  • 発売日: 2003/03
  • メディア: 文庫



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大姑陥   氏家 秀 [小説 戯曲 三島由紀夫 Balzac Kafka]

 齢四十を過ぎると、そこはかとなく居心地のよい異国の街路が見えてくる。灼熱に乾ききっても「来てよかった」と思わせ、土砂降りに靴中を湿らせても「こうでなくちゃ」と思わせる街路がある。そして古いカメラを携えた旅人は、山腹の野花を撮るように、街路で土産物を売る母娘を撮る。


 一九八八年 独楽大王交流大会の頃

場所
 大渓老街(桃園県大溪鎮和平路)

登場人物
 曹美齢…宋美齢に似た老婦人
 曹宇…美齢の秘書、少林紅拳師範
 梁林沖…美齢の友人の息子、俳優志望
 習賢一…廈門出身のピアニスト
 老板…百年油飯の四代目店主

(中央に赤い看板「百年油飯」の下、テラス状の店先にテーブル二つ、各々に背なし丸椅子四つずつ、その下手に土産物屋「李台」、上手に乾燥豆腐屋「黄茴月」、全体に屋根部分のファッサードはバロック調に凝った赤煉瓦造り、さらにアーケード風の通路空間を形成する亭仔脚が特徴)
(サングラスをした地味な服装の曹美齢、同じくサングラスをした白いスーツの梁林沖、少々遅れて小柄で地味な服装の曹宇が、上手から店を見つけて安堵したように出てくる)
美齢 やっと見つけたわ…ここまで来るのが大変なことだけれど、お墓参りじゃ仕方ないしね。
林沖 チャイナ・タウンにも見当らない油飯(ヨゥーファン)か…
美齢 あなたなら五、六杯は食べれるんじゃなくて?
老板 (下手側テーブルを手早く拭いて迎える仕種で)いらっしゃいませ、大渓で四代続く油飯でございます。
林沖 (美齢のためにドアを引いて中に入りかけながら)僕はまずビールですが…入らずにここでいいですか?奥の方にも席がありますけれど…
美齢 人通りを眺めていたいからここでいいわ。
 分かりました。老板、奥さまはお腰をちょっと痛めていらっしゃるので(素早く札を老板に握らせて)背もたれのある椅子を用意できればありがたい。
老板 (美齢の横顔を覗くように見ながら)ああ、はい、少々お待ちを…
(林沖がさっさと丸椅子に座ったのを見て宇は背後から膝で突き上げる。林沖は慌てて立って、美齢の椅子が持ってこられるまで宇を見習って直立する)
(リュックサックを背負って黒いバンダナを被った習賢一は、下手から俯きながら出てきて、土産物屋の黒糖菓子を見て足を止めるが、興味は何やら店奥にありそうな目配りをする)
林沖 (通りを見まわして)百年続いてる油飯屋だというのに観光客もちらほらですね。
 今日は水曜日、普段の日だし、昼食の時間はとうに過ぎている。
(黒いバンダナの習賢一は、店先の三人をけん制するように亭仔脚を迂回して車道側の前面に出てくる)
林沖 それにしても、彼もここまで案内するくらいの器量がなければ、総統閣下になったところで長続きはしないでしょうな。
 余計な言動は慎みたまえ。
(黒いバンダナの習賢一は、上手側テーブル前の亭仔脚に寄りかかって店奥を探るように覗き、美齢と目が合って宇が訝しく首を傾げると素早く逸らして上手へ通り過ぎる)
美齢 (黒いバンダナの彼を見送りながら)二人とも知っている?このあたり桃園県大渓鎮はね、昔はタークゥシェン(大姑陥)と言われていたらしいのよ。タイヤル族の言葉で大水の意味なんだって…
(老板が背もたれと肘掛のついた椅子に竹編みの座布団をのせて、正面を向く方向に据えて美齢に丁寧にすすめる)
美齢 (座ってサングラスを外して)ありがとう、老板、さすがに百年の名店ね。
(林沖もサングラスを外して些か疲れたように宇の顔を見ながら座る。宇も座ろうとしたが、先ほどの黒いバンダナの青年がまた上手に現れたので様子を窺う。黒いバンダナの習賢一は、隣の乾燥豆腐屋の店先で豆腐をじっと見つめはじめる)
美齢 あなたもお座りなさいな、珍奇な方々が集うのも仕方ないわ。大水のあるところに龍は眠り、花も蝶も称えるように集うのは道理、老板、そうよね?(老板が頷くのを見て思い出したように)そうだわ、注文しなければ…
 (座りながら)ご注文は私が
美齢 あたしにさせてちょうだい。(振り仰いで壁のメニューを見ながら)この子にビールを、あたしと彼には茶を…そして、あの肉巻き、油飯、肉羹湯がセットになったものを三人分ね。
林沖 (黒いバンダナの彼を気にしている宇に向かって)あれは日本人ですよ。見るものすべてが珍しいといった目つきは、ブロードウェイにやってきたばかりの日本人…
 日本人であれ宇宙人であれ、彼の目の配り方が気になる。
林沖 目の配り方ね…(美齢をちらりと見て微笑みながら)少林寺の師範は気の休まらないことで
 邪気が見えるわけではない。一店一店の品揃えを見ているというよりも、一店一店の奥行きを見ているような感じがする。
林沖 だったら大陸の窃盗団が下見に来てるんじゃないの?
 だから邪気は見えないと言っている。
林沖 それは失礼ながら師範がお歳を召したということで…
美齢 おやめなさいな、宇が気にするということは、相当なご仁なのかもしれないわ。
(美齢の言葉に反応したかのように、黒いバンダナの習賢一が、三人を背にするように上手側テーブルの下手丸椅子に座る)
老板 (茶碗と急須を宇の前に置いて、素早く反転するようにして)いらっしゃいませ、大渓で四代続く油飯でございます。
(宇は最初に美齢のために茶を注いで彼女の前に差し出す)
賢一 (一瞬、壁のメニューを見るように振り仰いで)油飯とスープ、肉羹湯をください。それから…お尋ねしたいことがあります。この辺りの古い町並みは、店舗の奥の方に中庭があるのでしょうか?
(自分の碗に注いでいた宇は、反応して大きく急須を振り上げて林沖に浴びせてしまう)
老板 ええ、庭というほどの広さはありませんが、この辺りは細長く建て込んでいますから、風通しをよくしたり、少しでも陽を入れるために、それらしい隙間がありますね。
(賢一は大いに頷いてバンダナを解いて首にまわす。老板は少々首を傾げて店に入る)
美齢 失礼ですけれど、話しかけてもよろしいかしら?曹と申します。アメリカから参りました。
賢一 (無防備に驚いて自分を指す)ああ、私ですか…ええ、構いません。
宇・林沖 (ほとんど同時に)お名前をお聞かせください。
賢一 失礼しました、習賢一と申します。シイ(習)は研究するシイです。
宇 中華民国の方ですか?それとも朝の挨拶は「早上好」ですか?
美齢 失礼ですよ。どちらのお国でも構わないわ。自分たちだって、太平洋を跨いであっちへ行ったりこっちへ来たりで…
林沖 新しい総統の名前を言えますか?
(美齢がきつい表情になって、素早く茶碗の中身を林沖の顔に振り撒ける。林沖は熱さに大声をあげかけるが、そのまま膠着したような表情になって徐々に萎れたようになる)
 (可笑しさを堪えながら)中庭をご覧になりたいようですが、最近は建て増して部屋に作り替えられているようですよ。
賢一 そうですか…僕は大阪でピアノを弾いていますが、元々は廈門の生まれです。
美齢 対岸の廈門といえばコロンス島、鋼琴之郷、つまりピアノの島よね?
賢一 そうです、父も祖父も調律やホテルのピアノ弾きで生計を立ててきました。
美齢 廈門のピアノの島にお生まれになったピアニストなんて…ご苦労も知らずに勝手を言わせていただければ、素敵なお仕事ですわ。
賢一 そうですね、恵まれた仕事だと思います。それでも、たまには鍵盤の前から離れませんと…
(老板が店から肉巻き、油飯、肉羹湯の各皿を持ってきて美齢たちのテーブルに並べる。続いてビール壜とコップを賢一の前に置いてしまう)
 (驚いている賢一に向かって差し上げる仕種で)よろしかったら喉を潤してください。まさかこれから演奏なさるんじゃないでしょう?
賢一 演奏はしませんが…そうですか、それじゃ遠慮なくいただきます。
美齢 (肉羹湯を啜って)美味しいわ。習さんは四合院はご存知でしょうけれど、ああいった中庭をお探しなの?
賢一 (美味そうにコップを干して)いいえ、四合院のような中庭など望むべくもありませんが…廈門の生家にも小さい中庭があって、小さい祠が祀ってあって…
美齢 祠ってピアニストのお宅でも媽祖を祀る祠なのかしら?
賢一 小さいながら国姓爺を祀っていました、祖父の好みらしくて。
美齢 (肉巻きを一口、油飯を一口食べてから)国姓爺、ああ鄭成功…英雄は必ず海を愛するわね。
 やはり龍に大水は必要でしょうな。
林沖 たしか新しい総統の親父は金龍とか…
(宇が涼しげな横顔で林沖の脛脚を蹴りあげてから肉羹湯を啜る)
賢一 朝になると母が線香を焚きあげて…父が調律を兼ねながら弾きはじめるのです…
美齢 素敵だわ、祠の線香の煙の先から…(やっと油飯を一口食べた林沖に向かって)ドビィッシーなんかが聞こえてきたらどうする?
林沖 小母さまが期待していた李だったら寝ちゃうでしょうね。
(宇がまた涼しげな横顔で林沖の脛脚を蹴りあげると、林沖は油飯を呑み込みながら大きく頷いて椅子から立ち上り、亭仔脚をまわって車道へ出る)
賢一 ドビィッシーですか…ベルガマスクの月の光は度々弾きますが…懐かしいですね、父が弾いていた姿が。
(林沖は両腕を振りまわしてシャドウボクシングの仕種の後、宇に車道へ出てくるように手招くが、宇は半分無視して肉羹湯を啜っている)
美齢 月の光ね…そうね、大ホールなんかじゃなくて、四合院の中庭、そう、習さんが言ったような小さい中庭で聴きたいわ。ああ、でも小さい中庭でだったら、子供の領分の中のThe snow is dancingとか…
賢一 雪が踊っている…失礼ですけれど、ピアノを弾かれることは?アメリカからいらっしゃったとか…普通の観光客にはお見受けできないのですが?
(宇が反応するように碗とスプーンを置いて脚をずらして構える。林沖は相変らず車道から交戦するよう宇を手招いている)
美齢 (厭きれたように手を振って宇に向かって)昨日から煩いから、あの子にちょっとつきあってあげたら?(賢一の方に向いて)習さん、ちょっとお待ちくださいな。(宇に向かって)人通りのあるところじゃ誰かが警官でも呼びかねないから、裏通りへ出て橋が見えるあたりで遊んできてあげなさい、あたしは習さんとお話しているから。
(宇は頷くと美齢に軽く会釈して車道へ出る。そして林沖のフックをかわして嘗で胸を突いて倒してから、下手へ誘うように小走って二人は姿を消す)
美齢 (二人の後姿を見送って薄ら笑いながら)あの白いスーツの子は、マサチューセッツの女子大時代の友達の長男なのだけれど…ピアノどころか、中国人なのに楊家将演義も知らないで俳優志望なんですって。
賢一 (困惑しながらもコップのビールを飲み干して)もうアメリカへお帰りになられるのですか?
美齢 そうね…あたしの北京官話も政男(まさお)ちゃんには聞き取りにくいらしいから…政男ちゃんたら、あたしの言っていることが、浙江訛りのせいで聞き取りにくいとか言ってね。頭がいいのは分かるけれど、どうも彼はNonluminous、不发光なのよ…仕方ないかな、日本の大学の農学部でマルクスを読んでいた青春なら。(急に我に還ったように)ああ…何を言っているのかしら、あたしったら。(また急変したように手を打って)そうだ、習さんはどちらにお泊りなの?あたしたちは台北なのだけれど…我儘を覚悟で申し上げたいのは、是非、台北のホテルで、ラウンジだから小さい中庭じゃないけれど、そこのピアノで月の光を弾いていただきたいわ?
賢一 (益々困惑しながらも)ええ、構いませんけれども…
美齢 The snow is dancing、子供の領分はお弾きになれる?
賢一 ドビッシーはだいたい弾けますが…楽譜があれば
美齢 そんなものはすぐに手配させます。ホテルへの連絡が不便であれば、あたしのホテルを手配させますし…ただピアノがお気に召すかどうか…
賢一 僕はブーニンみたいなピアニストじゃありませんから…やっと大阪を起点に日本、台湾、香港で弾けはじめた程度ですから…
美齢 その謙虚さ、誰かに聞かせてやりたいわ。そして楽しみだわ…あたしの落ち込み続けていた気分を、それこそ南風のように吹き払ってくれたら、たとえ何年先になろうとも、あなたをニューヨークへ呼んでしまうでしょう。
(美齢は背後の店奥に分かるように右腕を上げて振る。老板が口をもぐもぐさせながらドアを開けて出てくる。賢一はバンダナで額の汗をぬぐう仕種)
美齢 うちの小柄な秘書と白いスーツの子がね、橋を見渡せるところで遊んでいると思いますので呼んできてくださらない?お礼はたっぷりさせていただきます。
老板 承知しました…(ドアを開けて)お客さんを呼びにちょっと行ってくるから。
(老板は少々首を傾げながら車道へ出て下手へ歩きだす。賢一は困惑しきっているが、覚悟を決めたようにバンダナを絞って額に巻きつける。美齢は続けて賢一に話しかけようとするが、上を見上げて気がついたように老板の方へ反転する)
美齢 老板!言い忘れていたわ…もし白いスーツの子の顔やスーツが血まみれになっていても気にしないでね。
老板 血まみれ?お二人は何をなさっているのでしょう?
美齢 (笑顔で)いつもの喧嘩ですよ、女子供がするようないつもの喧嘩ですよ。(笑顔のまま反り返って賢一の方に向いて)中国人が集まれば、いつもやっている喧嘩ですよ。Let's laugh!让我们笑了(笑いましょう)!

                                        幕
悪魔と神 (新潮文庫 赤 120D)

悪魔と神 (新潮文庫 赤 120D)

  • 作者: サルトル
  • 出版社/メーカー: 新潮社
  • 発売日: 1971/12
  • メディア: 文庫



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一丈珍珠   梁 烏 [小説 戯曲 三島由紀夫 Balzac Kafka]

               周樹人先生に捧げる

私は彼女を「一丈珍珠(イジャン・チェンチュ)」と呼んでいた。先の二文字「一丈」は、意味は単独でなら身長を指すが、水滸伝に詳しい方なら、即座に梁山泊第五十九位の女傑、扈三娘(こさんじょう)が縄網で敵をからめ捕る段に思い至れるであろう。この女山賊にして好漢たる扈三娘も、彼女と同様に長身な痩躯で、渾名が「一丈青」となっていたのが、我が珍珠を揶揄するに冠した所以である。「珍珠」はもちろん彼女の中国名「賽珍珠(サィ・チェンチュ)」による。使い分けとしては、普段の会話として距離が近く親しみあっているときには「珍珠」を多用し、些細なことで仲違いした日の別れ際には「再見、一丈」と嫌味に言ったのだった。そして彼女の「伝道の家」の前で、母親の背後から現れた二十二歳の彼女、私は抜けるような白皙の彼女を「パールPearl」と呼んでいた。
 珍珠がパールとして帰国してしまう二年前の夏だった。日曜日の礼拝の後、いささか余裕がある大人たちの会話では、頻繁に「袁世凱」の名前が飛び交っていた。曽祖父の代から名酢「鎮江香醋」を扱って、鎮江の有力者の子弟として短期のアメリカ留学も経験していた私の父は茶談の中心だった。
「第一に名前がよくない。皆さんが中華の歴史の細部に至ってご存じないのは致し方ありませんが、古来より、袁の者が政治に関わることは度々なのですが、袁の者が天下に号令を発するまでになると、一年保てた記述が史記やら何やら捜しても見当らないのです。例えば三国志はご存知かと思うが、袁紹とか袁術とかはご存知ですか?」
 英国人を祖父に持つシンガポールの蔡舜(サイ・シュエン)さんは肩をすくめていた。
「南の島の我々が知っている三国志は、劉備と関羽と諸葛孔明、しかも私は読書嫌いな坊やでしたから…その袁の者は、まさか袁世凱の先祖ではないのでしょうな」
「さあ…なにぶん袁姓を名乗る中国人は、漢民族だけに限らないほど膨大な人数ですからね、白髪三千丈の国では辿りきれません。ところで、袁氏は後漢時代には汝南袁氏と呼ばれた名門豪族だったのですが、この袁紹と袁術、彼らは従兄弟同士で、二人とも歴史の表舞台に立とうとした矢先、曹操に虫食い黍のように弾かれてしまう」
「曹操?」と野苺のような唇でパールは呟いた。
「袁術は転がり込んできた玉璽を種に皇帝を称するのですが、遠大に中華の行く末を考えていた曹操にとって、吠え立てている野良犬の一匹にしかすぎなかったのです」
「彼もその野良犬の一匹」と言って蔡さんは俯いていた賽牧師、パールの父サイデンストリッカー師を窺った。「そうだとすれば、この暑い中、自らが皇帝となる帝政の復活に躍起になっているようだが、所詮は犬の遠吠えにすぎず、今の世の曹操に弾かれる…はて、曹操とは誰のことを仰っているのです?」
 父は碧玉のような眼を上げたパールに見とれながら溜め息をつかれた。
「そこなのです…思いあるいは人品としては陳独秀、行いあるいは工作としては蒋介石、もしくは…未だ雌伏する者ですかな」
「日本にいるとされている孫文は?」
「孫文が曹操では…」と珍しく父は言い淀んだ。「彼を乱世の姦雄としてしまっては…礼を失してしまうでしょう」
「であれば、日本から帰国したと噂される陳独秀あたりにしておきますかな」
 こうしていつもの談話の難渋のくすぐりが、鼻毛のそれのように日常の片隅へ捨ておかれた。父はいかにも渋い顔になって椅子から立ち上がり、蔡さんは懐中時計をパールと彼女の母に示して片目を瞑ってみせた。一言も発しなかった賽牧師は、父の後について辞しようとした私の肩に手をおかれた。師は父に話があるので、私にそのまま残るよう言われた。自らが「私の桃大真珠」と呼んでいたパール、彼女ともう少々話していかれては、と気遣いしていただいたと記憶している。
「曹操は楽しそうな人よね?」
 私も未だ「三国志演義」による姦雄しか知らなかったので返事に窮した。
「都市作りに武器の考案、医術や料理への執着、楽器を奏で囲碁の達人、そして何よりも詩文を宝として女に目がない、と誰かが書いていたわね」
「我々、中国人の信心は都合のいいもので、こうやって度々、伝道の家にお邪魔していても、ときとして信仰に疎遠な者を聖人ないし英雄として傍らにおきたくなる」
「もしかして、中国人は複雑なのかしら?」
「ああ、そうだね、間違いなく言えることは、複雑でなければ漢人ではない、ということかな」
 パールはいくらか苛立ったように窓辺へ立った。そして毎朝、河岸に集う老人たちの南拳の仕種を舞って見せた。蝶のような手のひらをかわしながら、音楽のような珍珠の鎮江訛りが続いていた。
「曹操は魅力的だけれど…水滸伝よ、やっと四十回を越えたところで、あなたのいう美貌の大女、一丈青はまだ見当らない。四十八回?もうちょっとね…盗賊あがりの女の将軍が実際にいたの?ああ、だめよ、やっぱり話さないで」
 パール・バック、旧姓サイデンストリッカーが、水滸伝の第四十八回を翻訳したのはずっと先のことである。この年の記憶が鮮明なのは、暮れの十二月十二日から八十三日間だけ皇帝になっていた袁世凱と、朝靄の河岸で白鳥のように白い腕を揺らめかせていた珍珠のおかげと言ってよいだろう。

                                       了
阿Q正伝・藤野先生 (講談社文芸文庫)

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  • 作者: 魯迅
  • 出版社/メーカー: 講談社
  • 発売日: 1998/05/08
  • メディア: 文庫



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